2009年10月04日 スプリンターズS G1
優勝馬:ローレルゲレイロ
プロフィール
- 生年月日
- 2004年05月03日 05歳
- 性別/毛色
- 牡/青鹿毛
- 戦績
- 国内:25戦5勝
- 総収得賞金
- 482,480,000円
- 父
- キングヘイロー
- 母 (母父)
- ビッグテンビー by テンビー(GB)
- 馬主
- (株) ローレルレーシング
- 生産者
- 村田牧場 (新冠)
- 調教師
- 昆 貢
- 騎手
- 藤田 伸二
秋のG1シリーズの開幕戦「第43回スプリンターズS」(G1、芝1200m)は新冠町の村田牧場生産のローレルゲレイロ(牡5歳、父キングヘイロー)が春の高松宮記念(G1)に続いて優勝。2001年のトロットスター以来、8年ぶりとなる春秋スプリントG1制覇を成し遂げた。
村田牧場は昭和5年創設。現在は、約50ヘクタールの土地に繁殖牝馬20数頭を抱える日高でも有数の大手牧場だ。現代表の繁實さんは新冠地区の軽種馬総合商社「優駿」の代表取締役を勤めるなど二足の草鞋を履く多忙な毎日だが、生産を長男の洋幸さん、離乳からの中期育成を弟の英治さん、おいの康彰さんらがサポートするような形で生産に励んでいる。
今回は村田繁實社長が中山競馬場に、洋幸さんらは牧場でローレルゲレイロに声援を送った。「長い写真判定になりましたけど、勝てて良かった」と繁實社長はほっとしたような表情でレースをふりかえった。
「今回は人気もなかった(6番人気)し、期待しないわけじゃないけど、気楽な応援でしたよ」というが写真判定の間は「みんなが勝った、勝ったというから気が気じゃなかった」と苦笑い。それでも写真判定のあと「13」という数字が出たときには「よく頑張ってくれたと思う。とにかくほっとした」と愛馬を称えた。
ローレルゲレイロの父キングヘイローは、村田さんが代表を務める(株)優駿が導入した期待の内国産種牡馬。その父ダンシングブレーヴは80年代欧州最強馬といわれた名馬で、母のグッバイヘイローも米国G1レース7勝という歴史的名牝だ。クラシック戦線ではスペシャルウィーク、セイウンスカイとともに三強を形成し、古馬になって高松宮記念を制した。
そして、母のビッグテンビーの父テンビーも、(株)優駿が導入した。テンビーは英国ダービーで1番人気に支持されたほどの馬だったが、種牡馬としては笠松競馬から挑戦してデイリー杯3歳S(G2)に勝ったフジノテンビーや皐月賞(Jpn1)2着のサンツェッペリン、CBC賞(G2)2着カネツテンビーらを出したが、種牡馬としては成功したとは言い難い。
ビッグテンビーも2歳夏のデビュー戦を楽勝したものの慢性的な脚部不安により約3年弱の競走生活でわずか4戦しかすることができなかった。「(ビッグテンビーを)繁殖牝馬に残そうかどうか悩んだが、あのスピードは捨てがたかった」という英断が最高の形で実を結んだ。
生まれたときは、決して評価の高い馬ではなかった。父キングヘイローの3世代目産駒。種牡馬としては未知数の時期だったうえに、5月生まれ。体も大きな方ではなかった。それが使われるごとに強さを増した。「朝日杯も、NHKマイルCも2着。大きなところには縁がないのかな」と思った矢先のスプリントG12連覇。「出来すぎだと思いますけど、また重賞競走に出走できるような馬を生産していきたい」と次の目標にむけて気持ちを切り替えていた。
村田牧場は昭和5年創設。現在は、約50ヘクタールの土地に繁殖牝馬20数頭を抱える日高でも有数の大手牧場だ。現代表の繁實さんは新冠地区の軽種馬総合商社「優駿」の代表取締役を勤めるなど二足の草鞋を履く多忙な毎日だが、生産を長男の洋幸さん、離乳からの中期育成を弟の英治さん、おいの康彰さんらがサポートするような形で生産に励んでいる。
今回は村田繁實社長が中山競馬場に、洋幸さんらは牧場でローレルゲレイロに声援を送った。「長い写真判定になりましたけど、勝てて良かった」と繁實社長はほっとしたような表情でレースをふりかえった。
「今回は人気もなかった(6番人気)し、期待しないわけじゃないけど、気楽な応援でしたよ」というが写真判定の間は「みんなが勝った、勝ったというから気が気じゃなかった」と苦笑い。それでも写真判定のあと「13」という数字が出たときには「よく頑張ってくれたと思う。とにかくほっとした」と愛馬を称えた。
ローレルゲレイロの父キングヘイローは、村田さんが代表を務める(株)優駿が導入した期待の内国産種牡馬。その父ダンシングブレーヴは80年代欧州最強馬といわれた名馬で、母のグッバイヘイローも米国G1レース7勝という歴史的名牝だ。クラシック戦線ではスペシャルウィーク、セイウンスカイとともに三強を形成し、古馬になって高松宮記念を制した。
そして、母のビッグテンビーの父テンビーも、(株)優駿が導入した。テンビーは英国ダービーで1番人気に支持されたほどの馬だったが、種牡馬としては笠松競馬から挑戦してデイリー杯3歳S(G2)に勝ったフジノテンビーや皐月賞(Jpn1)2着のサンツェッペリン、CBC賞(G2)2着カネツテンビーらを出したが、種牡馬としては成功したとは言い難い。
ビッグテンビーも2歳夏のデビュー戦を楽勝したものの慢性的な脚部不安により約3年弱の競走生活でわずか4戦しかすることができなかった。「(ビッグテンビーを)繁殖牝馬に残そうかどうか悩んだが、あのスピードは捨てがたかった」という英断が最高の形で実を結んだ。
生まれたときは、決して評価の高い馬ではなかった。父キングヘイローの3世代目産駒。種牡馬としては未知数の時期だったうえに、5月生まれ。体も大きな方ではなかった。それが使われるごとに強さを増した。「朝日杯も、NHKマイルCも2着。大きなところには縁がないのかな」と思った矢先のスプリントG12連覇。「出来すぎだと思いますけど、また重賞競走に出走できるような馬を生産していきたい」と次の目標にむけて気持ちを切り替えていた。