重賞ウィナーレポート

2011年05月01日 天皇賞(春) G1

2011年05月01日 京都競馬場 曇 稍重 芝 3200m このレースの詳細データをJBIS-Searchで見る

優勝馬:ヒルノダムール

プロフィール

生年月日
2007年05月20日 04歳
性別/毛色
牡/鹿毛
戦績
国内:14戦4勝
総収得賞金
395,609,000円
マンハッタンカフェ
母 (母父)
シェアエレガンス  by  ラムタラ(USA)
馬主
蛭川 正文
生産者
橋本牧場 (静内)
調教師
昆 貢
騎手
藤田 伸二
  • 橋本さんご一家とシュアエレガンス
    橋本さんご一家とシュアエレガンス
  • 牧場風景~1
    牧場風景~1
  • 牧場風景~2
    牧場風景~2
  • 牧場看板
    牧場看板

 4代続く名門牧場が、2頭目のG1馬を送り出した。事実だけを記すなら、どこかで聞いた話に聞こえるのかも知れない。ただ、この事実の視点を4代目の経営者である橋本博さんに置き換えると、ヒルノダムールの天皇賞(春)(G1)制覇は、とてもドラマティックな世界を描いていく。

 「実家にいた頃は競馬に興味がありませんでした。実家を継ぐと言う考えもなく、大学を卒業後は東京でサラリーマンをしていました」(橋本さん)。ただ、サラリーマン時代にファン目線で見ていた競馬が、橋本さんの人生を返る。競馬のおもしろさ、そして奥深さに気付いた橋本さんは、週末ごとにウインズや競馬場に通うようになり、しまいにはダービー(G1)の前日に、開門前から並ぶまでの熱烈な競馬ファンとなる。

 競馬の凄さに気付いた瞬間は、その前にもあった。アメリカに留学していた時代に、繁殖牝馬を購入するという父の通訳としてついて行ったタタソールスのディセンバーセール。日本の繁殖牝馬セールでは考えられないような良血馬が上場されたことにカルチャーショックを覚えた。「しかもせりの雰囲気が日本とはまるで違っていました。華やかで、イベントを行っているような感覚さえしました」(橋本さん)

 繁殖牝馬セール、そしてダービー(G1)。この二つの共通点が生産牧場だと気付いた時、橋本さんはサラリーマン生活を辞して、牧場の跡継ぎとなることを決意する。約一年間、アメリカとイギリスの牧場で研修を継いだ後、橋本牧場の4代目が誕生した。

 ヒルノダムールの祖母メアリーリノアは、そのタタソールセールで購入してきた繁殖牝馬だった。「購入を決めたのは父(博之氏)ですが、やはりフランスのG1レース(マルセルブサック賞(G1))を勝っていることを評価したのだと思います。シンジケートにも入っていたように期待をしていたラムタラを配合して生まれてきた牝馬が、ヒルノダムールの母となるシュアエレガンスになります」(橋本さん)

 そのシュアエレガンスにマンハッタンカフェを配合した理由には、「サンデーサイレンス系種牡馬でノーザンダンサーが入って無く、それでいて小柄な母の馬体を補えるようなスケールを持った種牡馬」という考えがあった。

 牧場にとって初めてのG1勝ち馬となったウインクリューガーとは違って、ヒルノダムールは橋本さんの考えが深く反映された生産馬だった。その思いに答えるかのように、バランス良く生まれてきたヒルノダムールは育成先での評判も良く、デビュー2戦目で初勝利をあげると、次の年には若駒Sを勝ってオープン入りを果たす。

 生産馬としては初めてのクラシックレース出走となる皐月賞(G1)では、ヴィクトワールピサを捕らえきれず2着に敗れたが、悔しさよりもこの舞台で生産馬が2着となったことに、橋本さんは充実感を覚えていた。

 「出るだけでも大変なレースで、勝つのはもっと大変なレースであることは、この皐月賞(G1)の後にヒルノダムールがなかなか勝ちきれなかったことでも分かっていました。ただ、今から思うと、勝ったヴィクトワールピサを初めとして、上位4頭が全てG1を勝っているレースですし、そう思うと、レベルが高かった世代なんだなと改めて思います」(橋本さん)

 ヒルノダムール自身は勝ちきれないレースが続いていたが、同世代のライバルたちは、その後、世代の壁を感じさせないほどの活躍を見せていく。いつしか07年世代は近年最強のレベルと言われるようになり、そして、ヒルノダムール自身も4歳時の大阪杯(G2)におけるレコード勝ちで、その評価を揺るがないものとした。

 同期のライバルたちが揃った天皇賞(春)(G1)は挑戦者的な立場だと思い、生産者というよりもヒルノダムールの一ファンの気持ちで競馬場に応援に出かけた。レースは馬主席に席を取ってもらったものの、ファンだった頃のように一人で見ていた。出入りの激しい流れの中でもヒルノダムールしか見えて無かった。折り合いを付けて力をため込んだヒルノダムールが、勝負所で力強く順位を上げていく。直線で先頭に躍り出たとき、思わず声が出た。叫び続けた声が届いたのだろうか。ダービー(G1)で後塵を喫したエイシンフラッシュの追撃を振り切り、飛び込んだゴール板の先には悲願のG1タイトルがヒルノダムールを、そして橋本さんを待っていた。

 「表彰式の時でも、あまり勝ったという実感は沸きませんでした。ただ、飛行機で北海道に戻ってきて、空港から静内まで戻る車中の中で、ようやく勝ったんだなという気持ちになりました」(橋本さん)

 このドラマはこれで終わったわけではない。このレースの後、陣営からは凱旋門賞(G1)出走へのプランも発表され、またG1ウイナーとして、レベルの高い4歳世代のライバルたちとの激闘も続いていくこととなる。

 「生産者という立場ではありますが、牧場を巣立ったらオーナーさんの馬でありますし、普段、管理をしてくださっているのは厩舎の皆さんです。これからも僕は、一ファンとしてヒルノダムールのことを応援していこうと思います」(橋本さん)

 天皇賞馬を送り出した生産者となっても橋本さんの視点は、ファンだった頃と何も変わらない。