2010年09月05日 新潟2歳S G3
優勝馬:マイネイサベル
プロフィール
- 生年月日
- 2008年04月11日 02歳
- 性別/毛色
- 牝/鹿毛
- 戦績
- 国内:2戦2勝
- 総収得賞金
- 258,450,000円
- 父
- テレグノシス
- 母 (母父)
- マイネレジーナ by サンデーサイレンス(USA)
- 馬主
- (株) サラブレッドクラブ・ラフィアン
- 生産者
- 高橋 修 (静内)
- 調教師
- 水野 貴広
- 騎手
- 松岡 正海
今年の新潟2歳S(G3)の優勝馬マイネイサベルの生産牧場である高橋修牧場は、過去にもメガスターダム(ラジオたんぱ杯2歳S(G3)、中京記念(G3))など、多くの活躍馬を送りだしている。実はマイネイサベルとメガスターダムは、姪と叔父の関係に当たるのだ。
「マイネイサベルの母となるマイネレジーナと、メガスターダムがフミノスキーという母から産まれた兄弟になります。この血統はマイネイサベルの祖祖母に当たるベンドユウホウを、仔分けとして預かっていたことから始まるのですが、オーナーが力を入れていい種牡馬を配合してくれたので、牧場にも跡取りを残すことができました」代表の高橋修さん。
トップサイアーとして確固たる地位を誇っていたサンデーサイレンスとの間に産まれたマイネレジーナは、函館3歳S(G3)と、クイーンS(G3)で2着と能力の片鱗こそ見せるも、脚部不安もあって、重賞に手が届かないまま引退を余儀なくされた。
「引退後はビッグレッドファームさんとオーナーとの関係もあって牧場で繋養させてもらえることとなりました。母を持っていられた会員さんも見学に来てもらったりもしてはいたのですが、その期待に答えるような産駒を残せなくて…」(高橋さん)
流産だけでなく放牧地での怪我などもあり、マイネイサベルまでに競走馬になれたのは僅か3頭だけ。それはマイネレジーナ自身の激しい気性も関係していた。「気性の強い馬で、そのことでホルモンバランスを崩すのが、子宮に影響を与えているのではと獣医の先生から言われました。普段、扱っていてもひとたびスイッチが入ると手に負えないほど凄い馬で、種付けの際にも馬運車の移動が一苦労だったこともあり、時間を要するようなスタリオンにはいけませんでした」(高橋さん)
一計を講じた高橋さんは、オーナーからマイネレジーナを譲ってもらったのを機に、売却することを決める。それは夫婦2人で営んでいるだけに、どちらが怪我をするわけにもいかないという牧場ならではの苦渋の選択でもあった。
テレグノシスを父に持つ牝馬を出産し、仔分けがすんだ後、マイネレジーナは新冠の牧場へと移動していく。牧場に残されたその牝馬こそが、後のマイネイサベルである。
当歳時のマイネイサベルは、母を彷彿とさせるような気性の強さを持っていた。HBAオータムセールの当歳市場に上場したところ、(有)ビッグレッドファームに見初められ300万円(税抜き)で落札。マイネイサベルは母と同じ環境でデビューまで育てられることとなった。
「母のことも見てくれていましたし、ビッグレッドファームさんが力を入れていたテレグノシス産駒ということで、目にかけてはもらえないかなとは思っただけに、一声がかかったときは嬉しかったですね」(高橋さん)
サラブレッドクラブラフィアンの募集馬となったマイネイサベルの近況を、高橋さんはクラブのホームページで確かめていったというが、順調に調教が行われているという更新を見る度に、ほっとした気分になっていた。
しかも、そのセールから約1年半後の2月、思いがけない報告が高橋さんの元に届く。ビッグレッドファームの種牡馬展示会で行われる新種牡馬の公開調教で、マイネイサベルが3歳馬を相手に坂路を駆け上がることが決まったのだ。
どんな走りを見せてくれるのだろう?と心配する高橋さんをよそに、マイネイサベルはこの日、公開調教に姿を見せた2歳馬の中では最速のタイムを記録する。「3歳馬をちぎってきたときの瞬発力には驚かされました。また、ウチにいた頃は気性が強かったマイネイサベルが、騎手の思うがままに動いてくれているのを見たときには、ビッグレッドファームさんの管理や調教あってのことだな、と改めて感謝しましたね」(高橋さん)
仕上がりの良さを証明するかのように、メイクデビューを勝利したマイネイサベルは新潟2歳S(G3)へと出走。決して評価こそ高くは無かったが、直線で大外に進路を向けると、まるで父テレグノシスを彷彿とさせるような末脚で他馬をごぼう抜きしていった。
牧草などの仕事も残っていた高橋さんは、自宅で観戦をしていた。「ゴール前は興奮して叫びっぱなしでした。ただ、その時に限ってレースを録画していたビデオが、ちょうどゴール前で壊れて録画されていなかったのは、なんとも言えない気持ちでしたが(笑)」(高橋さん)
実は新潟2歳S(G3)が行われた9月5日は、牧場の創業者でもある高橋豊吉さんの命日でもあった。豊吉さんは一代で牧場を興すと、農耕馬の繋養や、森林から伐採された木材を馬で運んでくる仕事をしながら確実に牧場を大きくして、修さんにバトンを渡した。
「冷静に振り返ってみると、ゴール前での一伸びは父が後押ししてくれたのかもしれません。父も思い入れの合った血統ですし、今頃は天国で喜んでくれているのではないのでしょうか」(高橋さん)
近年の活躍馬にも現れているように、新潟2歳S(G3)は出世レース。まだまだ、お話することがありますよ、と笑う高橋さんだが、それは次の重賞ウイナーの取材に取っておいてもらおう。