2010年01月10日 シンザン記念 G3
優勝馬:ガルボ
プロフィール
- 生年月日
- 2007年05月05日 03歳
- 性別/毛色
- 牡/青毛
- 戦績
- 国内:6戦2勝
- 総収得賞金
- 344,321,000円
- 母 (母父)
- ヤマトダマシイ by ジェネラス(IRE)
- 馬主
- 石川 一義
- 生産者
- 高村 伸一 (様似)
- 調教師
- 清水 英克
- 騎手
- 池添 謙一
5冠馬シンザンが3歳1月に京都競馬場の芝1600m戦を勝ったからかは分からないが、シンザンが引退した翌年(1967年)に創設された「シンザン記念」。かつて、このレースをステップに一流馬へとのぼりつめたシーキングザパールはフランスのG1ウイナーとなり、タニノギムレットはダービーウイナーとしてその名を残している。
2010年は、上位人気馬が総崩れになる中、朝日杯フューチュリティS(Jpn1)4着のガルボが力強く抜け出して、関東馬として初めてシンザン記念(G3)の覇者となった
「嬉しいですね。この血統からまた重賞勝馬を出した事も嬉しいです」と生産者の高村伸一社長が満面の笑みで迎えてくれた。ガルボの祖母ハハゴゼンは、94年の京都新聞杯(G2)で、のちに三冠馬となるナリタブライアンに土をつけたスターマンの半妹。ハハゴゼンも、スターマンも高村さんの生産馬として、この地で生まれている。
当然、期待の大きな馬だったが「普通に走らせても左右の脚がぶつかりそうになるくらいに曲がっていた」と競走馬としての登録を断念せざるを得なかった。普通であれば、繁殖牝馬としても疑問符が付けられるところだが「スターマンの血統で残った唯一の牝馬」という理由で牧場に残したという。ところが、そのハハゴゼンも初仔のヤマトダマシイを生んで4か月後に腸ねん転でこの世を去ってしまう。「母のケイティルートも腸ねん転で亡くなりました。あのときは、母仔というのはここまで引きずるものなのかと、そんな気持ちになりましたね」と暗い気持ちになったと言う。
しかし、高村さん以上に、母を亡くしたヤマトダマシイは心身共にダメージを負ってしまった。「今さら乳母は付けられないし、早すぎる離乳を余儀なくされて馬がすっかりおかしくなってしまった。成長のバランスが大きく崩れて、売却出来る馬ではなくなってしまったんです。ガッカリしましたけど、気持ちを切り替えて、その時は売ったら(唯一の後継牝馬は)戻ってこないかもしれないぞ、と自分に言い聞かせた」と言う。
そんな生産者の思いを受けてか、ヤマトダマシイは小柄な馬体ながらも高村さんのオーナーブリーディングホースとして岩手競馬で6勝をあげて牧場に戻ってくる。そしてガルボを生む。「母のヤマトダマシイは決して受胎の良い馬ではありませんでした。そして、母自身がそうだったように産駒も小さく生まれる傾向だったそうです。ガルボも線の綺麗な馬ではありましたが、小さかったので、なかなか買い手が決まらない馬でしたね」と牧場時代のエピソードを披露してくれた。
しかし、そんな馬が大きな仕事をやってくれるのも競馬の、生産の醍醐味。「あの時は、せっかくの血統を無駄には出来ないという思いが強かったです。でも…、生産界全体に余裕のない今だったら、こんなことが出来たかどうか」とポツリ。実際、ヤマトダマシイはガルボを生んだあと2年連続不受胎だったこともあって手放してしまったそうだ。
しかし、ヤマトダマシイの忘れ形見ともいうべきガルボはクラシックへの参戦切符をしっかりと手にした。「スターマンもそうでしたし、父マンハッタンカフェということからも晩成型だと思っています。これからもっと強い馬と競馬をすることになりますが、頑張ってほしいですね」という生産者の期待に応えるような走りを見せて欲しい。
2010年は、上位人気馬が総崩れになる中、朝日杯フューチュリティS(Jpn1)4着のガルボが力強く抜け出して、関東馬として初めてシンザン記念(G3)の覇者となった
「嬉しいですね。この血統からまた重賞勝馬を出した事も嬉しいです」と生産者の高村伸一社長が満面の笑みで迎えてくれた。ガルボの祖母ハハゴゼンは、94年の京都新聞杯(G2)で、のちに三冠馬となるナリタブライアンに土をつけたスターマンの半妹。ハハゴゼンも、スターマンも高村さんの生産馬として、この地で生まれている。
当然、期待の大きな馬だったが「普通に走らせても左右の脚がぶつかりそうになるくらいに曲がっていた」と競走馬としての登録を断念せざるを得なかった。普通であれば、繁殖牝馬としても疑問符が付けられるところだが「スターマンの血統で残った唯一の牝馬」という理由で牧場に残したという。ところが、そのハハゴゼンも初仔のヤマトダマシイを生んで4か月後に腸ねん転でこの世を去ってしまう。「母のケイティルートも腸ねん転で亡くなりました。あのときは、母仔というのはここまで引きずるものなのかと、そんな気持ちになりましたね」と暗い気持ちになったと言う。
しかし、高村さん以上に、母を亡くしたヤマトダマシイは心身共にダメージを負ってしまった。「今さら乳母は付けられないし、早すぎる離乳を余儀なくされて馬がすっかりおかしくなってしまった。成長のバランスが大きく崩れて、売却出来る馬ではなくなってしまったんです。ガッカリしましたけど、気持ちを切り替えて、その時は売ったら(唯一の後継牝馬は)戻ってこないかもしれないぞ、と自分に言い聞かせた」と言う。
そんな生産者の思いを受けてか、ヤマトダマシイは小柄な馬体ながらも高村さんのオーナーブリーディングホースとして岩手競馬で6勝をあげて牧場に戻ってくる。そしてガルボを生む。「母のヤマトダマシイは決して受胎の良い馬ではありませんでした。そして、母自身がそうだったように産駒も小さく生まれる傾向だったそうです。ガルボも線の綺麗な馬ではありましたが、小さかったので、なかなか買い手が決まらない馬でしたね」と牧場時代のエピソードを披露してくれた。
しかし、そんな馬が大きな仕事をやってくれるのも競馬の、生産の醍醐味。「あの時は、せっかくの血統を無駄には出来ないという思いが強かったです。でも…、生産界全体に余裕のない今だったら、こんなことが出来たかどうか」とポツリ。実際、ヤマトダマシイはガルボを生んだあと2年連続不受胎だったこともあって手放してしまったそうだ。
しかし、ヤマトダマシイの忘れ形見ともいうべきガルボはクラシックへの参戦切符をしっかりと手にした。「スターマンもそうでしたし、父マンハッタンカフェということからも晩成型だと思っています。これからもっと強い馬と競馬をすることになりますが、頑張ってほしいですね」という生産者の期待に応えるような走りを見せて欲しい。