2006年04月09日 桜花賞 G1
優勝馬:キストゥヘヴン
プロフィール
- 生年月日
- 2003年04月25日 03歳
- 性別/毛色
- 牝/鹿毛
- 戦績
- 国内:6戦3勝
- 総収得賞金
- 328,988,000円
- 馬主
- 吉田 和子
- 生産者
- 正和山本牧場 (門別)
- 調教師
- 戸田 博文
- 騎手
- 安藤 勝己
本馬の大快挙に、生産者の正和山本牧場は、驚きと興奮が冷めやまぬ様子です。
初めての生産馬の重賞優勝(3月18日、フラワーカップGⅢ)に戸惑いを見せていた同牧場。一月も経たぬ間に、今度は、この愛仔がGⅠ制覇を成し遂げてしまったのだから、無理もありません。喜びの中にも、まだ実感として捉えきれない程の大きな優勝だったようです。
レース発走時には、自宅の居間に牧場のスタッフ全員が、すなわち、お婆ちゃんのミツさん、奈緒美さん(奥さん)、徹君(長男)、香ちゃん(長女)と山本社長の家族全員が集まりレースを見守った。
レースは、後ろに付けていた本馬がゴール前で、瞬く間に差し切っての快勝。
山本社長は「今回は、スポーツ紙に少し印がついていたので、楽しみにはしていましたけれど、優勝なんて考えもつきませんでした。ゴール前の直線で良い脚で先団に取り付いたときは、着ぐらいあるかなと思いましたが、後はゴールまで覚えていません。ゴールでは勝ったと分かりましたけれど、手前で安藤騎手がガッツポーズをしたのも覚えていませんでした。あとでビデオを見てわかりましたよ。みんな声も出なかったですね。ただ、競馬を余り知らない子供が“武豊に勝ったァ”と歓声を上げていました。すぐにお祝いの電話や届け物の連続で、さらに、お祝いに駆けつけてくれた方との祝宴も始まり、訳も分からなくなりました。」と嬉しそうに語る。
同牧場は、3年前の台風10号の被害が最も大きかった厚別川中流沿いにある。近所より被害が少なかったものの、一時ライフラインも切断されるほどの状況だった。
本馬は台風の年に、親戚から譲り受けた母親から生まれました。
幼駒の頃より、小さめの馬体だが、気の強い面も持ち合わせていたというが、「この地域は、夏場はアブが多くてね。自然とアブの少ない夜に放牧する事になります。今回も、あの小さな体で差し切った根性は、夜間放牧で自然に鍛え上げられたのかもしれませんね。」と山本社長。
「うちは、セリでしか売るあてがありません。」と、一歳の秋に北海道市場オータムセールで売却されたが、落札者が社台グループだったのも恵まれたのでしょうか。
山本社長は、今回のレースにも競馬場に応援に行けなかった。家族経営の牧場は、この時期、出産、種付と仕事に目を離せない毎日が続いているからだ。
「次(オークスの予定)は、出産が少し落ち着く頃だけど分からないなー。」と、送られてきた前走のフラワーカップ優勝記念の口取り写真を眺めながら呟く。 GⅠの口取り写真は生産牧場にとっては末代の宝物、そこに生産者がいないのも寂しい。「でも、(競馬場に応援しに)行っていたら、勝てなかったかもしれませんよ。」と、気持ちを抑えている様子。本馬には、山本社長が参加できるまで頑張って貰いたい。
日頃、日高の馬に勝って貰いたいと願う、地元の生産者や関係者の「良かったね。」という挨拶が、馬産地日高をひととき明るくしている。
初めての生産馬の重賞優勝(3月18日、フラワーカップGⅢ)に戸惑いを見せていた同牧場。一月も経たぬ間に、今度は、この愛仔がGⅠ制覇を成し遂げてしまったのだから、無理もありません。喜びの中にも、まだ実感として捉えきれない程の大きな優勝だったようです。
レース発走時には、自宅の居間に牧場のスタッフ全員が、すなわち、お婆ちゃんのミツさん、奈緒美さん(奥さん)、徹君(長男)、香ちゃん(長女)と山本社長の家族全員が集まりレースを見守った。
レースは、後ろに付けていた本馬がゴール前で、瞬く間に差し切っての快勝。
山本社長は「今回は、スポーツ紙に少し印がついていたので、楽しみにはしていましたけれど、優勝なんて考えもつきませんでした。ゴール前の直線で良い脚で先団に取り付いたときは、着ぐらいあるかなと思いましたが、後はゴールまで覚えていません。ゴールでは勝ったと分かりましたけれど、手前で安藤騎手がガッツポーズをしたのも覚えていませんでした。あとでビデオを見てわかりましたよ。みんな声も出なかったですね。ただ、競馬を余り知らない子供が“武豊に勝ったァ”と歓声を上げていました。すぐにお祝いの電話や届け物の連続で、さらに、お祝いに駆けつけてくれた方との祝宴も始まり、訳も分からなくなりました。」と嬉しそうに語る。
同牧場は、3年前の台風10号の被害が最も大きかった厚別川中流沿いにある。近所より被害が少なかったものの、一時ライフラインも切断されるほどの状況だった。
本馬は台風の年に、親戚から譲り受けた母親から生まれました。
幼駒の頃より、小さめの馬体だが、気の強い面も持ち合わせていたというが、「この地域は、夏場はアブが多くてね。自然とアブの少ない夜に放牧する事になります。今回も、あの小さな体で差し切った根性は、夜間放牧で自然に鍛え上げられたのかもしれませんね。」と山本社長。
「うちは、セリでしか売るあてがありません。」と、一歳の秋に北海道市場オータムセールで売却されたが、落札者が社台グループだったのも恵まれたのでしょうか。
山本社長は、今回のレースにも競馬場に応援に行けなかった。家族経営の牧場は、この時期、出産、種付と仕事に目を離せない毎日が続いているからだ。
「次(オークスの予定)は、出産が少し落ち着く頃だけど分からないなー。」と、送られてきた前走のフラワーカップ優勝記念の口取り写真を眺めながら呟く。 GⅠの口取り写真は生産牧場にとっては末代の宝物、そこに生産者がいないのも寂しい。「でも、(競馬場に応援しに)行っていたら、勝てなかったかもしれませんよ。」と、気持ちを抑えている様子。本馬には、山本社長が参加できるまで頑張って貰いたい。
日頃、日高の馬に勝って貰いたいと願う、地元の生産者や関係者の「良かったね。」という挨拶が、馬産地日高をひととき明るくしている。