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門別競馬場で岡田繁幸さんの追悼展

  • 2021年11月08日
  • 門別競馬場で開催された岡田繁幸さんの追悼展
    門別競馬場で開催された岡田繁幸さんの追悼展
  • コスモバルクの活躍を写真で展示
    コスモバルクの活躍を写真で展示
  • 数々の優勝レイも飾られた
    数々の優勝レイも飾られた

 11月2、3、4日、日高町富川駒丘にある門別競馬場において、今年3月に死去した岡田繁幸さんの追悼展、「偉大なるホースマンを偲んで 追悼 岡田繁幸展」が開催された。

 岡田繁幸さんは1950年、北海道静内の生まれ。1974年に静内町浦和(現新ひだか町静内浦和)にて牧場を創業。1982年に有限会社ビッグレッドファームを設立し、1986年にマイネル(マイネ)の冠名で有名なクラブ法人のサラブレッドクラブ・ラフィアンを創設した。

 その後は新ひだか町真歌、新ひだか町静内田原、新冠町明和、茨城県鉾田市などにも施設を拡大。競走馬の生産、育成、購買、所有、クラブ法人の運営、種牡馬事業など幅広くサラブレッドビジネスを手掛けた。

 関係した活躍馬はマイネルラヴ、マイネルレコルト、マイネルマックスなど多数。我が国の競馬で非常に稀有な存在として、中央競馬・地方競馬のみならず世界でも活躍したコスモバルクも、岡田繁幸さんによって見出された1頭になる。

 2011年に引退したコスモバルクは、2003年にホッカイドウ競馬からデビュー。2003年12月には数々の名馬を生み出したクラシック登竜門のラジオたんぱ杯2歳S(G3)、2004年には弥生賞(G2)を連勝し、クラシックの主役に躍り出た。その後は、2004年の皐月賞(G1)、ジャパンC(G1)で2着になり、2006年にはシンガポール航空国際C(G1)を制覇。地方競馬所属馬、そして、日高産馬として初の海外G1制覇を成し遂げた。

 コスモバルクが第1号馬となったホッカイドウ競馬の認定厩舎制度の設立、ホッカイドウ競馬の主催者に対して適切な助言を行う諮問機関である北海道地方競馬運営委員会の委員を設立当時から務めたほか、日高軽種馬農業協同組合の副組合長、日本競走馬協会の副会長、ジャパンブリーダーズカップ協会の副会長、JBC実行委員会などの要職を歴任し、ホッカイドウ競馬や地方競馬、軽種馬生産界の発展に大いに尽力した。

 場内の大型特設テント内で開催された追悼展では、生前の岡田さんの対談映像を放映したほか、コスモバルクが中央競馬で制覇したラジオたんぱ杯2歳S(G3)、弥生賞(G2)、セントライト記念(G2)の優勝レイを展示。また、コスモバルクの北海優駿、弥生賞(G2)、セントライト記念(G2)、シンガポール航空国際C(G1)などのレース写真や記念写真、日本ダービー(G1)に向けての壮行会、シンガポール航空国際C(G1)の優勝報告会などの写真で、在りし日の岡田さんを偲んだ。