馬産地ニュース

浦河ポニー乗馬スポーツ少年団が20周年式典

  • 2019年02月05日
  • 浦河ポニー乗馬スポーツ少年団の20周年記念式典
    浦河ポニー乗馬スポーツ少年団の20周年記念式典
  • 式典に出席した関係者
    式典に出席した関係者
  • 歴代の会長が20周年記念のケーキで祝福
    歴代の会長が20周年記念のケーキで祝福
  • 祝辞を述べる平賀敦JRA日高育成牧場長
    祝辞を述べる平賀敦JRA日高育成牧場長

 2月2日夜、浦河ポニー乗馬スポーツ少年団(近藤秀典会長)は、浦河町大通にある浦河ウエリントンホテルにおいて、浦河ポニー乗馬スポーツ少年団20周年記念式典「馬いろ 次への一歩」を開催した。

 このポニー乗馬スポーツ少年団は、1999年に設立。子どものころから乗馬を通じて心身を鍛えるとともに、馬に親しみ馬を愛する心を育てることを目的としている。普段は浦河町西幌別にある乗馬公園を活動拠点とし、牧場関係者が中心となり、幼児から小中学生を対象に、乗馬の楽しさや技術などを教えている。創団20年で120人以上が卒団。卒団生からはインターハイや国体に出場する選手、JRA競馬学校合格者、海外で活躍する騎手、馬関係の職に就き活躍するホースマンなどを送り出している。式典には歴代の会長や団員、団員OB、OG、その保護者、来賓など約70人が出席した。

 式典で池田拓浦河町長は「20周年の式典、本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。そして、歴代の会長をはじめ、役職員の皆さん、JRAの皆さん、陰日向で子どもたちを支えていただきありがとうございます。子どもたちが浦河の馬文化の一翼を担ってくれて大変うれしく思います。子どもたちには、ひとつお願いがあります。これからも乗馬を続けていただいて、できるんであれば、浦河高校へ進んでいただき、浦河高校で全国大会を目指してほしい。この少年団が、30年も40年も式典を重ねられるようにご祈念いたします」と乾杯。

 来賓として出席したJRA日高育成牧場の平賀敦場長は「わたしが浦河のJRAに初めて来たのが1998年。それからこちらで合計12年います。その間、当時、小さかった子が、中学、高校と大きくなっても乗馬を続け、全国大会に出場したり、技術を上げている姿にびっくりすることもありました。また、少年団で小さかった子が大きくなり大人になって、今では小さい子供たちに教える立場になっている。浦河の街だからこそできることとおもいます。こういった活動が長く続いていってほしい。実際、ご両親は大変な思いをしてると思いますが、皆様の力を結集して、30周年、40周年と続き、少年団の子が今度は自分の子どもたちに教えるところを見てみたいとおもいます」。浦河町教育委員会の浅野浩嗣教育長は「1999年の創立から20周年、心から敬意を表します。普段は乗馬公園で活動しており、春と秋の町の乗馬大会、正月の騎馬参拝、夏の馬フェスタにも参加していただいています。そして、JRAのジョッキーベイビーズ全国大会には毎年のように団員が出場されています。ここでは幼児の時から馬に親しんでいただき、小学生での少年団、浦河高校馬術部といい流れができてます。浦河は馬の街。馬の街らしく、これからも末長く活動してほしいとおもいます。現在、乗馬公園だけでポニー自体も賄うのは難しく、保護者の方から提供していただいているのが実情です。今後は町としてもできるだけのことをしていきながら、一歩一歩前に進んでいただければと思います」と祝辞を述べた。

 祝宴では少年団出身で、現在はカナダで騎手として活躍する木村和士騎手のビデオレターを放映したほか、少年団の発展に大きく寄与したチェスナットファームの広瀬亨社長に、近藤会長らが感謝状と花束を贈呈。20周年を記念してつくられた勝負服も披露された。

 近藤会長は「本日は浦河ポニー乗馬スポーツ少年団の20周年記念式典に、極寒のこの時期にお集まりいただき、まことにありがとうございます。わたくしが子どもたちとともに、少年団に入らせていただいた経緯は、アイルランド留学時にアイルランドの子どもたちが、まるで犬や猫を触るように馬を扱い、それがあまりにも自然に見えて驚いたからです。自分の稼業が馬なのに、自分の子どもたちが馬を触れないのは恥ずかしいことだともおもいました。少年団ができた経緯も、おやごさんたちの熱い同じ思いあったと聞き共感しました。この20年間で120人以上の団員が、馬の街、浦河で、馬を通して、技術、体力、礼儀、精神力を培ってきました。子どもの頃のこの体験が、馬の仕事に就いている人はもちろん、そうでない人もきっと役立っているでしょう。最後に式典の準備に奔走していただいたお母さん方に感謝申し上げます。皆さんと楽しい時間を共にできたことを心から嬉しく思います」と挨拶。最後は初代会長の中島雅春氏が一本締めで少年団の今後の発展を祈った。