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追悼・シンコウラブリイ

  • 2011年12月09日

 外国産牝馬シンコウラブリイは、子供の頃に憧れた、見ぬ憧れの異国の雰囲気を漂わせた馬だった。

 いわゆる“女丈夫”という表現とは程遠い華奢な馬体。にも関わらず、天性のレースセンスとスピード、瞬発力は同世代の牝馬はもちろん、牡馬をも置き去りにした。

 印象的だったのは、現在でいうところのNHKマイルC的な位置づけだったニュージーランドトロフィー4歳S(G2)だ。人気は豪快な末脚を武器にここまで重賞3連勝を記録していた外国産馬のヒシマサルだったが、4番人気シンコウラブリイは好位追走から逃げるサクラバクシンオーを楽に交わすと、追い込むヒシマサルの末脚を封じ込めてスタンドのため息を誘った。

 その無駄のないレースぶりは男を惑わす“クール&ビューティ”。安田修氏の勝負服が黒一色だったことから、1987年公開の角川映画「黒いドレスの女」にも例えられていた。

 同世代の最強外国産馬といわれたヒシマサルを破ったあとは、ラジオたんぱ賞(G3)で牡馬のクラシック組を撃破。さらに秋のクイーンS(G3)では同世代の牝馬を相手に力の違いを見せ、富士Sでは古牡馬を一蹴した。まだ外国産馬そのものが珍しかった時代。アイルランドからやってきた天才少女は日本の競馬に革命をもたらす存在にもなった。この馬の活躍がきっかけとなり、好景気を背景にした外国産馬、持込馬ブームが巻き起こることになる。フサイチコンコルドやビワハイジはシンコウラブリイが活躍した翌年に日本で生まれたカーリアン直仔なのだ。

 そんなシンコウラブリイにとって、念願ともいえるG1制覇は引退レースとなった4歳秋のマイルチャンピオンシップ(G1)。お昼過ぎから降り出した雨は容赦なく馬場を叩き、スピードと切れ味を武器とするシンコウラブリイにとっては決して有利ではないように感じた。しかし、不良馬場と化した馬場をまるで味方につけるようにあっさりと、そして当たり前のように自らの引退レースを飾った。ゴール前。しっとりと濡れた黒いドレスにあたるスポットライト。妖艶ともいえるそのパフォーマンスは、まるでこの日のために用意された舞台のようでもあった。

 引退したシンコウラブリイは大樹町の大樹ファームで繁殖牝馬となり、初仔から重賞勝馬(ロードクロノス=中京記念(G3))を出して存在感を示した。残念ながら母を超えるような仔にはいまだ恵まれていないが、桜花賞で2番人気になり、母として重賞勝馬の母となったレディミューズや重賞2着3回のトレジャー、あるいは準オープンで活躍したピサノグラフなどファミリーを広げてきた。この春も、自身にとって12番目の産駒となるディープスカイの牝馬を出産するなど最後まで現役を貫き通した。

 かつて、この馬を取材したときは、スタッフ一同が声をそろえて「賢い馬」と表現した。現役を引退し、大樹ファームへと移動したとき。そして2度の出産を終えてシンコーファームへとやってきたとき。牧場では、レースで見せた激しさは影を潜め、どこへ行ってもかわいがられる性格だったという。あのマイルチャンピオンシップ(G1)から18年目の2011年秋。もう、ちょっとかしげたようなあのハート型の流星を見ることはできないが、競走馬として、繁殖牝馬として輝き続けたシンコウラブリイの血は永遠に生き続けるのだ。