白馬牧場でテイエムオペラオー、ゴスホークケンの合同慰霊祭
6月15日、新冠町西泊津にある白馬牧場において、テイエムオペラオーとゴスホークケンの合同慰霊祭が行われた。
合同慰霊祭には鈴木正夫日高テイエム牧場場長、鎌田信一杵臼牧場社長、長浜和也白馬牧場社長などのテイエムオペラオーやゴスホークケンの関係者、地元の牧場関係者、大阪や札幌などから駆けつけたファンなどを含め約50人が参列。静内神社の山田一孝宮司の神事にのっとり、牧場内の馬頭観世音や墓碑前に置かれた祭壇に玉串を捧げ2頭の冥福を祈った。
祭壇まわりにはテイエムオペラオーを所有した竹園正繼オーナー、現役時代に管理した岩元市三元調教師、ゴスホークケンを所有した藤田在子オーナー、所縁の関係者やファンからの供花が飾られたほか、東京・中山・京都・阪神・小倉のJRA各競馬場やJRAウインズに置かれた記帳台で記帳された11,000人を超えるテイエムオペラオーの記帳ノートも置かれた。
ゴスホークケンの墓碑には生年月日や戦績、血統などが記され、テイエムオペラオーの墓碑には競走成績、獲得賞金、受賞暦のほか、「夢と感動をありがとう」というメッセージが刻まれている。
テイエムオペラオーは父オペラハウス、母ワンスウエド、母の父ブラッシンググルームという牡の栗毛。浦河町杵臼にある杵臼牧場の生産馬で、1997年北海道市場10月市場2歳において竹園正繼氏に10,500,000円(税込価格)で購買された市場取引馬として知られている。
競走成績は26戦14勝。1998年8月に京都でデビュー。3戦目で勝ち上がると3歳になり1999年の毎日杯(G3)で重賞初勝利。続く皐月賞(G1)を制覇して見事1冠目を手にした。日本ダービー(G1)はアドマイヤベガの3着、菊花賞(G1)はナリタトップロードの2着に惜敗。古馬になると全盛期を迎え、2000年の京都記念(G2)から阪神大賞典(G2)、天皇賞(春)(G1)、宝塚記念(G1)、京都大賞典(G2)、天皇賞(秋)(G1)、ジャパンC(G1)、有馬記念(G1)まで、年内負けなしの重賞8連勝、G15勝を記録してJRA賞年度代表馬に選ばれた。2001年は天皇賞(春)(G1)連覇と京都大賞典(G2)に優勝。獲得賞金18億3,518万9,000円はキタサンブラックに抜かれるまで歴代1位だった。
引退後は種牡馬となり、イーストスタッド、日高軽種馬農業協同組合門別種馬場、テイエム牧場、レックススタッドを経て、2012年から白馬牧場で供用。5月17日に心臓麻痺のため急死。22歳で生涯を終えた。種牡馬としては2009年の東京ハイジャンプ(JG2)、京都ハイジャンプ(JG2)、2008年の京都ジャンプS(JG3)を制覇したテイエムトッパズレ、2008年の東京ハイジャンプ(JG2)を制覇したテイエムエースなどを送り出した。
ゴスホークケンは父バーンスタイン、母オールザウェイベイビー、母の父グランドスラムという血統。牡の黒鹿毛のアメリカ産馬で2007年3月にアメリカで行われた2歳トレーニングセールで取り引きされたトレーニングセール出身馬として知られている。
ゴスホークケンの競走成績は15戦2勝。藤田与志男氏(のちに藤田在子氏)の所有馬、美浦の齋藤誠厩舎(のちに手塚貴久厩舎)の管理馬として2007年10月に東京でデビューし快勝。3戦目の朝日杯フューチュリティS(Jpn1)を制覇してJRA賞最優秀2歳牡馬に選ばれた。
2011年に浦河町東栄にあった日高スタリオンステーションで種牡馬入りし、2016年から白馬牧場で供用。5月20日に大動脈破裂のため急死。まだ13歳だった。種牡馬としては産駒に恵まれない中、わずか5頭の初年度産駒の中から、快足を飛ばして2017年の関屋記念(G3)、小倉大賞典(G3)、2016年の福島記念(G3)を逃げ切ったマルターズアポジーを送り出した。
なお、テイエムオペラオー、ゴスホークケンの墓参は、13時30分から15時まで可能となっている。詳細は競走馬のふるさと案内所のホームページで。