様似町で函館大経に関する講演会
3月7日、様似町図書館の視聴覚ホールにおいて、ふるさとジオ塾×図書館講座の「函館大経の生涯」が開催された。
ふるさとジオ塾はこれが9回目。会場には様似町民だけでなく、日高管内の牧場関係者も含めて、約100人の聴講者が会場に詰めかけた。この日はJRA職員の川島利一郎氏、そして競馬評論家であるだけでなく、競馬史研究家でもある田島芳郎氏が、様似町出身で、日本における馬術や競馬の礎を作ったホースマンである函館大経氏について、地元との関わりや、その後の功績についてを語った。
函館大経は1846年に幌満川の渡守をしていた斎藤源吉、ハル夫婦の四男として生まれる。4歳で池田勝右衛門の養子となり函館(箱館)へと渡った後、17歳の時には東京(江戸)へ向かい、そこで学問や剣術だけでなく、フランス人のプリーから西洋馬術も学んでいく。その後はプリーと共に横浜仏語学校の馬術教育を手伝いながら馬術の腕を磨いていくと、幕府伝習騎兵隊の教官ともなる。
1870年には横浜の根岸競馬場で行われた招魂社祭礼競馬において、外国人を差し置いて見事に優勝。その頃に奉行地のあった場所にちなんで「函館」に改姓する。その後は天覧馬術を行うなど、ホースマンとしての地位を確立していき、1872年からは開拓使となって、函館の隣町である七飯町の牧場で馬種改良を行う傍ら、函館競馬場の創始にも深く関わっていく。その頃の門下生からは、多くの騎手や調教師が輩出されており、その門下生の中には武豊騎手の曽祖父となる、武彦七氏の名前もある。
川島氏は「函館大経のふるさと~様似・幌満~」と題して、様似町と函館大経についての関わりについて説明を行っただけでなく、函館大経が過ごした函館と様似の海路を通しての交流などについても、様々な資料を用いて説明を行った。田島氏は「函館大経の生涯から昨今の研究成果から~」とのテーマで、事前に参加者に配布された資料を用いながら、函館大経の足跡だけでなく、馬術や競馬に対する多大な貢献、そして馬産を通して道産子の祖先を育てたことなどを語った。
質問コーナーでは様似-函館間の海路に携わった方の子孫だけでなく、斎藤源吉氏の親戚に当たる方からの話も聞かれるなど、講師を務めた2人にとっても、更に函館大経に対する研究心を深める機会ともなっていた。