ティンバーカントリーが死亡
新ひだか町静内のレックススタッドで繋養されていたティンバーカントリー(牡)が2月23日午後10時頃、心不全のため死亡した。24歳だった。
ティンバーカントリーは父ウッドマン、母フォールアスペン、母の父プリテンスという血統栗毛の米国産馬。競走成績は米通算12戦5勝。1994年の2歳時にはBCジュベナイル(G1)、シャンペンS(G1)、バルボアS(G3)などに勝利してエクリプス賞・米2歳牡馬チャンピオンに選ばれ、3歳時には米クラシックのプリークネスS(G1)に優勝した。
1996年より供用。1998年~2001年、2006年~2007年には豪州、2001年にはUAEでも供用された。
代表産駒は2001年の朝日杯フューチュリティS(G1)や2004年のフェブラリーS(G1)、2002年、2003年、2004年のJBCクラシック(G1)3連覇を達成したアドマイヤドン、2001年のダービーGP(G1)制覇のムガムチュウ、2006年のアルゼンチン共和国杯(G2)制覇のトウショウナイトなど多数。1999年の2歳新種牡馬チャンピオンで、2006年は地方2歳リーディング3位、2012年は5位、2004年は地方総合リーディング4位、2007年、2011年は5位になっている。
2015年の種付けシーズン途中の3月に高齢と体調を考慮して種牡馬を引退。以降は功労馬として余生を送っていた。近年はブルードメアサイアーとしての活躍も目立ち、母の父としてコパノリッキー、ラストインパクト、プレイアンドリアル、シンメイフジなどを送り出していた。
レックススタッドの泉山義春場長は「競走馬としても一流で、種牡馬としても数多くの重賞勝ち馬を送り出してくれました。最期は苦しむことなく眠るように亡くなりました。冥福を祈っています」と話していた。墓石はレックススタッド向かいにある桜舞馬公園(オーマイホースパーク)に建立されるという。