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追悼~ミホシンザン

  • 2014年12月05日
  • 元気な頃のミホシンザン(2011年5月撮影)
    元気な頃のミホシンザン(2011年5月撮影)
  • 元気な頃のミホシンザン(2011年5月撮影)
    元気な頃のミホシンザン(2011年5月撮影)

 12月4日朝。ミホシンザンが亡くなった。32歳。父シンザンの35歳3か月には及ばないもののサラブレッドとしては大往生だったと思う。

 谷川牧場の事務所からほど近い場所にあるやや大きめの放牧地。天馬街道と名付けられたその道路と並走するように長く伸びたその場所が、長くミホシンザンの居場所だった。浦河の街からBTC軽種馬育成調教センターへと続く道を車で行き来するたびに、ちょっと背中の落ちた鹿毛の馬を横目で確認する作業が、いつの間にか習慣になっていた。いま、その場所には栗毛のチョウカイキャロルがいる。それが嬉しくもあり、また寂しさを禁じ得ない。

 ミホシンザンは、いつも誰かと比べられる存在だった。現役時代。1歳年上には、不敗の三冠馬シンボリルドルフがいた。皐月賞(G1)、そして菊花賞(G1)の2冠を制し、3歳(旧4歳)代表として挑んだ有馬記念(G1)は、日本競馬史上最強馬の高く、厚い壁の前に跳ね返された。それでも、敢然と挑んだその姿は今も印象に残っている。

 現役引退後、種牡馬になったミホシンザンを待っていたのは好景気にまかせるままに海外から導入される高額種牡馬たちだった。ちょうど父シンザンが種牡馬生活の引退を決めた翌年のこと。種牡馬生活同期にはスリルショーがいて、その後バイアモン、ブライアンズタイム、トニービン、サンデーサイレンスらが続けて日本の地を踏んでいる。そして種牡馬引退後は父であり5冠馬シンザンが比較対象の存在になった。内国産種牡馬冷遇時代に、道を切り拓いたパイオニアであり、サラブレッドとして最長寿記録(当時)を持つ偉大なる父。ミホシンザンは、いつもライバルたちに囲まれた存在だった。

 最後まで同馬を世話した谷川牧場の谷川貴英社長は「シンザンと肩を並べてくれるくらいまで頑張ってほしかったのですが、それが叶わずに残念です。それでも、現在までシンザンの血を繋いでくれた。感謝したい」と哀悼のコメントを寄せてくれた。

 そんなミホシンザンとの思い出は今から3年ほど前のこと。案内された放牧地に足を踏み入れた瞬間、それまで遠くで草を噛んでいたミホシンザンが、見慣れぬ侵入者を威嚇してきた。それは、自分のテリトリーを守ろうとする王者の威厳であり、プライドを感じさせるものだった。

 30歳になろうというサラブレッドに恐怖を感じたのは、後にも先にもこの時だけだった。

 シンザンが戦後初の三冠馬になった年からちょうど50年。またひとつ、昭和の歴史が幕を閉じたような気がした。