馬産地ニュース

追悼~ヤエノムテキ

  • 2014年03月31日
  • ヤエノムテキ
    ヤエノムテキ

   ヤエノムテキが死んでしまった。サラブレッドというか、競走馬としては十分すぎるくらいに長寿の29歳。加齢による衰えがまったくなかったと言えば嘘になるが、年齢を考えれば十分に健康で、まだまだ元気に過ごしてくれると思っていたからニュースを聞いたときは驚いた。オグリキャップやサッカーボーイと同世代。海外に目を転じればブライアンズタイムやフォーティナイナーと同じ年に生まれている。骨太で筋肉質。四白流星の派手な栗毛馬。芝コースでの初勝利がクラシック第一弾の皐月賞(G1)と、その派手な容姿に負けないくらいのパフォーマンスで鮮烈なキャリアを誇った。この馬が勝利した1988年の皐月賞(G1)は76年のトウショウボーイ以来12年ぶりの東京開催。1枠1番から出走したこの馬は、インコースでじっとスタミナを温存しながらレースを進めると、直線で末脚を爆発。500キロにならんとする大きな馬体から繰り出される雄大なフットワークは精密機械のように正確なリズムを刻み、白いソックスが大きな軌道を描く。追いすがるサクラチヨノオーを突き放し、追い込むディクターランドを退けたところがゴールだった。

   圧倒的人気を背負った菊花賞(G1)の大敗や不可解な宝塚記念(G1)の敗退。引退レースとなった有馬記念(G1)の放馬などやんちゃな面もあったが、オグリキャップやイナリワン、スーパークリークにオサイチジョージなど昭和を代表する馬たちと名勝負を繰り広げ、5歳秋には天皇賞・秋(G1)に優勝。このときに記録した1分58秒2は、1999年にスペシャルウィークが更新するまでやぶられることのないレースレコードだった。

   通算23戦8勝で引退。現役引退後は新冠町の新冠町農協畜産センターで種牡馬入りしたものの、当時はサンデーサイレンスなど海外から優秀な種牡馬が次々と導入された時代でもあり、思うように繁殖牝馬を集められないままシンジケートは解散。その後、1997年からは、ヤエノムテキの生まれ故郷でもある浦河町にある日高スタリオンステーションに移動して種牡馬生活を送っていた。最後の種付記録は2003年。途中、2度のシンジケート解散という憂き目にもあったが、ヤエノムテキを支えるファンによって種牡馬登録は続行され続けており、種牡馬引退が決められたのは2010年12月のことだった。

   それから3年あまり。競走馬のふるさと案内所が行う北海道馬産地見学ガイドツアーにおける常連でもあり、参加者たちとの記念撮影にも応じてくれる嬉しい存在だった。

   事務局から報告された死亡時刻は午前2時45分。最後の最後のまで、多くの人たちに愛されたヤエノムテキは幸せなサラブレッドだったと思う。