追悼~サクラチトセオー
競走馬のふるさと案内所の「北海道馬産地見学ガイドツアー」でも見学いただいたサクラチトセオー(24歳)が1月30日早朝、北海道新ひだか町の新和牧場で老衰のために死亡した。
「朝、いつものように放牧しようとしたら馬房の中で倒れていました。昨年秋に腰を悪くしたことがあったのと、ここ数日食欲が少し落ちていたのが気がかりでしたが、それ以外はずっと元気にしていました。ここまでよく頑張ってくれたと思います」と新和牧場の谷岡毅社長はサクラチトセオーの最期の時を教えてくれた。
サクラチトセオーは、1990年生まれ。同期にはウイニングチケットやビワハヤヒデがいる世代で、デビュー間もないころは体質が弱く、使い込めないようなところがあったが、2歳時に新馬、特別を連勝。当時ダービートライアルだったNHK杯(G2)で3着に追い込んで3戦2勝で第60回記念のダービー(G1)にも出走している。
通算成績は21戦9勝。豪快な追い込みを武器に、4歳春の中山記念(G2)で重賞初勝利。このときはまだ条件戦にも出走できる身分だったが、別定重量で差し切り勝ち。トップハンデを課せられた京王杯オータムH(G3)では日本レコード(当時)の1分32秒1を記録している。
圧巻は5歳秋の天皇賞(秋)(G1)。レース前の主役は7か月ぶりの出走となったナリタブライアンだったが、17頭立ての後方2番手を進んだサクラチトセオーは直線ですべての馬を抜き去り、レース後には、見事に主役の座を射止めていた。
「大外一気」。いつしか、それがサクラチトセオーの代名詞になった。道中はただ1頭自分だけの道をゆき、4コーナーをまわると、やはりただ1頭で自分だけの道を突き進んだ。潔いまでのその戦法は「花は桜木、人は武士」という言葉を思い出させるようなものだった。
現役引退後、静内スタリオンステーションで種牡馬となり、初年度産駒からラジオたんぱ杯3歳S(G3)の勝馬でクラシック候補となったラガーレグルスを出したものの、この馬は3番人気で出走した皐月賞(G1)で、まさかのゲート内座り込み、競走中止。その後、2004年のダイヤモンドS(G3)を勝ったナムラサンクスの父となったが、自身を超えるような産駒に恵まれずに2009年の種付けを最後に功労馬として余生を送っていた。
少しばかり早すぎるような気もするが、その潔さもまたサクラチトセオーらしいところなのかもしれない。また1頭、個性派が私たちの前から去ってしまった。 合掌