馬産地ニュース

追悼~イソノルーブル

  • 2013年12月09日

 浦河町の村下農場で余生を送っていたイソノルーブルが、7日夜、老衰のために死亡したという。

 「約10年ほど前に蹄葉炎を患っていましたが、獣医師、装蹄師の方々の懸命な努力で回復し、繁殖牝馬として出産もしています。それからは、年齢相応に衰えのようなものもありましたが、ずっと元気に過ごしてきました。今思えば、半年くらい前に後脚が少し腫れぼったいような症状が出たことと、2日ほど前に疝痛のような症状を訴えてきたことがありましたが、いずれも獣医師の処置ですぐに回復しています。亡くなる7日は大事をとって若干短めの放牧にとどめましたが、普段と変わった事と言えば、いつもよりもたくさん歩いたこと。そのときは、前日の運動不足解消くらいにしか思っていなかったのですが、もしかしたら最後の放牧地の感触を味わっていたのかもしれませんね。夕方に馬房に入れて、夜、様子を見に行ったら静かに眠ように亡くなっていました」と村下農場の村下公典代表が“その日”の様子を教えてくれた。

 浦河町の家族牧場で生まれたイソノルーブルは、1歳6月の特別市場でJRA日高育成牧場によって購買され、同牧場で育成された馬だ。2歳9月のデビュー戦、同年11月の特別競走を連勝するも、いずれも抽せん馬(現在でいうところのJRA育成馬)限定戦ということもあって高い評価を得ることはなかった。この馬に注目が集まったのは2戦2勝で挑んだラジオたんぱ3歳牝馬S(G3)。ここで、札幌3歳S(G3)の優勝馬スカーレットブーケや函館3歳S(G3)優勝馬ミルフォードスルーらを相手に堂々と3馬身半差の逃げ切り勝ちを演じたときのこと。この年の牝馬は相対的にレベルが高く、2歳の牡馬混合重賞でも牝馬が活躍していたが、その中でもイソノルーブルのスピードは出色と見られていた。2歳時を3戦3勝で終えた同馬は、3歳になってエルフィンS、そして報知4歳牝馬特別(G2)を連勝。5戦不敗の1番人気で桜花賞(G1)の舞台へと駒を進めた。2番人気は牡馬相手にデイリー杯3歳S(G2)、ペガサスS(G3)を連勝してきたノーザンドライバーで、3番人気はクイーンC(G3)で復権したスカーレットブーケ。ほか3戦3勝のシスタートウショウが4番人気で、5番人気は前述のミルフォードスルー。ちなみにタニノギムレットの母タニノクリスタルも1枠1番にその名を連ねている。

 桜花賞(G1)のレース直前に起きたアクシデントは稿を重ねるまでもないだろう。スタート直前に右前脚を落鉄し、最後まで打ち替えを拒否したイソノルーブルは発走時間を15分以上も遅らせたうえに、半マイル45秒8、前半1000mは57秒6のハイラップを踏んで初めて5着に敗れた。その様子は「裸足で逃げ出したシンデレラ姫」にも例えられたが、オークス(G1)で雪辱。ハッピーエンドのストーリーとして長く語り継がれている。

 あの春から、まもなく22年の歳月が過ぎようとしている。筆者の記憶にあるのは「たまたま縁あって、生産馬でもないのにこれだけの馬を預かることになりました。あのときは、イソノルーブルのことを聞かれるのが本当に嫌でした」という村下さんだ。今は「この馬と長い時間を共有できたことは、本当に幸せなことだと思っています。母を超える直仔を送り出すことはできませんでしたが、孫の代でモンストールに恵まれました。このファミリーをさらに発展させることが、イソノルーブルに対する恩返し」という。そして「この馬を愛してくださったたくさんのファンの方々にも改めて感謝申し上げたい」と言葉少なに語ってくれた。

 昭和生まれの最後のダービー馬トウカイテイオーが逝った年の暮れ、同じ年に生まれたイソノルーブルも後を追った。ひとつの時代が確実に終わりを告げたが、その血はサラブレッドの中で脈々と受け継がれていくのだ。