馬産地ニュース

追悼~エアグルーヴ

  • 2013年04月25日
  • エアグルーヴ(2008年11月撮影)
    エアグルーヴ(2008年11月撮影)
  • エアグルーヴ(2008年11月撮影)
    エアグルーヴ(2008年11月撮影)
  • エアグルーヴ(2008年11月撮影)
    エアグルーヴ(2008年11月撮影)

 第116回天皇賞(秋)(G1)(1997年)を優勝するなどG1を2勝し、現役引退後はノーザンファームにおいて繁殖牝馬として供用されていたエアグルーヴ(牝・20歳)は、4月23日(火)午後11時にノーザンファーム早来牧場(北海道勇払郡安平町)で病気(出産後の内出血)のため、死亡したとの連絡がありましたので、お知らせいたします。

                            ~JRA広報発表より

 感情の入らない文章が悲しみを引き立たせる。

 4月23日午後11時。11番目の仔(牡、父キングカメハメハ)を産み落としたあと不世出の名馬は静かに旅立った。
 名馬の訃報に接するとき、いつも思い出すのは最後に会わせてもらったときのことなのだが、エアグルーヴの場合は思い出がありすぎて整理がつかない。 

 不利の連続で行き場を失いながらも完璧な勝利をおさめた2歳時のいちょうステークス。テレビでみた阪神3歳牝馬ステークス(G1)の敗戦と、後塵を拝したその相手に5馬身の差をつけてリベンジを果たしたチューリップ賞(G3)。熱発後のオークス(G1)。パドックでみたエアグルーヴは、神々しいまでの雰囲気を醸し出していた。個人的に印象に残るレースは4歳暮れの有馬記念(G1)。それまで手綱をとっていた武豊騎手がマーベラスサンデーに騎乗して、エアグルーヴを徹底マークで封じ込めた。結果、ともにシルクジャスティスの追い込みを許してしまったのだが、このレースでは武豊騎手の意地とプライドを垣間みたような気がする。

 現役引退後、1度だけノーザンファームで取材させてもらったことがある。夜間放牧期間だったために、放牧地ではなく、馬房の中にいたエアグルーヴは、のちにイントゥザグルーヴと名付けられる牝馬とともに過ごしていた。うす暗い馬房の中でも品の良さみたいなものはしっかりと確認できたし、それは愛娘のアドマイヤグルーヴにも受け継がれていた。

 その後、たまたま別の取材で訪れていたときに撮影中のエアグルーヴに出会ったこともある。思うような方向に顔を向けてくれずに、カメラマンのアシスタントが、困り果てたような顔をしていたのが、不謹慎ながら可笑しかった。
 「マイペースな馬で、撮影は苦手なんですよ」。
 名競走馬にして、名繁殖牝馬。ひとつくらいは苦手なものがあった方が良い。素直にそう思ったものだ。 

 ここ2年は子宝に恵まれなかったが、その幕引きもまた印象に残るものだった。生涯現役のまま逝ったのも、またエアグルーヴらしいところ。そう思うことで多少は救われる思いがする。

 現役を引退するとき、その引退式で武豊騎手は「果たした夢、果たせなかった夢。みんな子供に伝えてください」とメッセージを残している。果たした母仔G1制覇。果たせなかった海外G1挑戦。そして優勝。
 エアグルーヴという名前は、サラブレッドの歴史の中で永遠だ。