追悼~アグネスワールド
名は体を表す、とはよく言ったものでアグネスワールドは“世界の馬”だった。
かつて、社台ファームの吉田照哉代表がこの馬のことを「ダンジグの直仔でジュライC(G1)とアベイユドロンシャン賞(G1)を勝ったのだから、すごい価値がある。もっと国内で評価されてよい馬」というような意味の発言をしたこともあったが、その言葉どおりに国内よりも国外で評価の高い馬だった。
ワーラウェイ(41年)、そしてサイテーション(48年)という2頭の三冠馬をはじめ多くの活躍馬を送り続けた米国の名門カルメットファームで生まれ、1歳春のキーンランドジュライセールでは105万ドル(当時のレートで約1億円)で取引されたエリート中のエリートだった。新馬~函館3歳S(G3)を連勝。4か月半の休み明けとなった朝日杯3歳S(G1)はプラス26キロの体が響いたかレコード決着のまえに4着だったものの、初の実戦ダートとなった全日本3歳優駿(G2)を快勝した。期待された3歳シーズンは左前脚の骨折により棒にふることになるが、復帰後は短距離レースを中心に活躍した。4歳秋には仏国ロンシャン競馬場の直線1000mで行われるアベイユドロンシャン賞(G1)を快勝。5歳時には英国ニューマーケット競馬場で行われるジュライC(G1)にも勝利して、その名を世界に轟かせた。日本調教馬として海外のG1レース2勝は史上初の快挙だった。これらを含め通算20戦8勝2着6回3着1回。生涯を通して掲示板を外したのは1年ぶりの復帰戦だったガーネットS(G3)、そして安田記念(G1)、最後のレースとなった米国ブリーダーズCスプリント(G1)の3つだけという素晴らしい成績を残して2001年から早来町の社台スタリオンステーションで種牡馬となった。
父は米国チャンピオンサイアーで、祖母のフィディラは仏3歳牝馬チャンピオン。半兄には最優秀短距離馬のヒシアケボノがいる良血馬。当然、期待も大きく初年度から105頭の繁殖牝馬が同馬の血を求めた。
しかし、その期待の大きさが、逆にアグネスワールドの足を引っ張ることになる。豪州のウィンディンスタッド、英国のダルハムホールスタッドなどからオファーが舞い込み、供用2年目、3年目は日本での種付けゼロ。加えて、初年度105頭の種付けに対して血統登録数47頭という受胎率の低さも評価をさげる要因となった。
南半球ではワンダフルワールド(豪州のコーフィールドギニーズ(G1))を出したものの、自身を超えるような産駒に恵まれず、2009年の種付けを最後に種牡馬生活を引退。精神的なリフレッシュの意味も込めて十勝の新田牧場、そして昨年8月からは社台スタリオンステーションの功労馬厩舎で余生を送っていたが、20日、腰痛の悪化により起立が困難になり、安楽死の処置が取られたという。
同スタリオンでは「せっかく素晴らしい種牡馬を入厩させていただいたのですが、結果を出せずに申し訳ない気持ちでした。冥福を祈りたい」と言葉少なに名馬の死を悼んでいた。