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追悼~トールポピー

  • 2012年06月27日

 「第69回オークス(JpnI)(2008年)、阪神ジュベナイルフィリーズ(JpnI)(2007年)などに勝利し、2007年の最優秀2歳牝馬に選出され、現役引退後はノーザンファームにおいて繁殖牝馬として供用されていたトールポピー号(牝・7歳)は、6月22日(金)深夜、ノーザンファーム(北海道勇払郡安平町)で腸捻転のため死亡したとの連絡がありましたので、お知らせいたします」~JRAホームページより。

 事実のみを伝える平板な文章が、よりいっそう哀しみを際立たせる。

 「花の命は短くて、苦しきことのみ多かりき」と言ったのは作家の林芙美子だったが、春先に美しく咲き誇る花から名前をもらったトールポピーと、そのファミリーもまた、競走能力のすべてを一瞬の輝きに変えて、競馬史にその名を刻み込んできたファミリーだ。新馬戦を5馬身差で圧勝した半姉アドマイヤメガミ。デビューから3つの重賞含み4連勝を記録した全兄フサイチホウオー。その輝きは何よりも美しかった。

 2007年12月。デビューから3戦して1勝のトールポピー陣営が選んだのは16分の6という出走確率だった。デビュー戦は出遅れながらもアーネストリーの2着。2戦目に勝ちあがったものの、確勝を期した黄菊賞は、当時人気薄だったヤマニンキングリーの末脚に屈した2着。このときは、武豊騎手が手綱をとる1番人気馬を早めに捕らえて、そして先頭に立ったところを差し込まれての2着だった。

 言うまでもなく、最終的な目標は来春のクラシック。しかし、陣営は出走確率が低い阪神ジュベナイルフィリーズ(Jpn1)を当面の目標にした。出走できなければ、また出走できたとしても2着までに入らなければ、桜花賞(Jpn1)への道のりは厳しいものになる。それを承知で選んだ1戦で、トールポピーは、陣営の期待に応えて姉兄が届かなかったG1タイトルを手中にした。

 翌春は、余裕をもってチューリップ賞(Jpn3)から始動。ハナ差2着で本番に向けてしっかりと手応えをつかんだものの桜花賞(Jpn1)当日はまさかのマイナス10キロ。この馬らしさを見せることができなかったが、オークス(Jpn1)に勝利して2歳女王のプライドを守った。

 しかし、この勝利で燃え尽きてしまったかのように、その後は凡走を繰り返して5歳春、阪神牝馬S(G2)17着を最後に引退し、通算成績14戦3勝で生まれ故郷に戻り、繁殖牝馬になった。2つのG1レースと最優秀2歳牝馬のタイトル。それだけで十分過ぎるはずなのに、どこか不完全燃焼のイメージが重なるのは、高い期待ゆえなのだろうか。

 ちょうど、その頃だ。すっかり“らしさ”を失ってしまったトールポピーが引退するかしないかのタイミング。ノーザンファームの育成スタッフから「デリケートな血統ゆえに、長く、充実した競走生活を送れるようにというテーマを持って大切に育てています」という馬を紹介してもらった。それが3歳年下のアヴェンチュラだった。姉妹制覇を狙った阪神ジュベナイルフィリーズ(G1)は4着にやぶれ、その後は骨折により春シーズンを棒に振ってしまったが、まだ多くの方の記憶にあるように、秋に大輪の花を咲かせてくれた。あの花は、間違いなくトールポピーが咲かせたものだと、確信している。

 虎は死して皮を留め、人は死して名を残すという。トールポピーが遺した産駒は2頭。幸か不幸か、いずれもキングカメハメハを父にもつ牝馬だという。ノーザンファームの吉田勝己代表はJRAを通して「残された産駒たちに夢を託したいと思います」とコメントした。

 それでも思う。トールポピーは、今もアヴェンチュラの中で生き続けているのだと。