シンチェストが死亡
1987年の京都記念(G2)優勝馬シンチェストが5月6日、老衰のため繋養先のローリングエッグスクラブ・ステーブルで死亡した。ダービー馬ダイナガリバーと同世代の29歳だった。
シンチェストは父タイテエム、母ブラウンデージ、母の父ボンモーという血統。浦河町の宮内牧場で生まれ、半兄に阪神大賞典(G2)を制したシンブラウン、半弟に京都記念(G2)、京都金杯(G3)を制したテイエムジャンボがいる。
現役時代は栗東・布施正厩舎の管理馬としてデビューし、3歳春までに2勝。ダービートライアル・NHK杯(G2)でラグビーボールの2着に入り、日本ダービー(G1)では上位人気に支持されたが、ダイナガリバーから0.6秒差の7着に敗れた。その後休養を挟み、4歳初戦の日経新春杯(G2)でフレッシュボイスの4着、次いで挑んだ京都記念(G2)で待望の重賞制覇を果たした。満足にレースを使えずに僅か11戦で引退となったが、その無念を晴らすべく1990年から11年間、種牡馬生活を送った。
種牡馬としては朝日チャレンジカップ(G3)、中日新聞杯(G3)の勝ち馬シンカイウン、阪神スプリングジャンプ(JG2)の勝ち馬マグマライフ、ホッカイドウ競馬所属馬としてラベンダー賞を制したカケノジンライらを送り出し、その血に宿る威力を見せつけた。
功労馬として晩年をローリングエッグスクラブ・ステーブルで過ごし、一昨年までは毛ヅヤも良く元気一杯の様子だったが、昨年あたりから足腰が弱くなり出し、運動量が落ちていた。今年も冬を越したものの、長らく同じ牧場で過ごし、歳も近かったミスターシクレノンが2月に亡くなったあとを追うように、5月、力尽きてしまった。同牧場では“シン”という呼び名で親しまれ、父タイテエムを彷彿とさせる四白流星の派手な姿で、多くの人に支えられながら老後を満喫していた。冥福を祈りたい。