追悼~メジロパーマー
昨年秋に行った「北海道馬産地見学ガイドツアー」で、メジロライアンとともに元気な姿を見せてくれたメジロパーマーが4月7日夕方、北海道洞爺湖町のレイクヴィラファームで死亡した。心臓麻痺とみられている。25歳の誕生日を越えたばかりの訃報だった。
今では、本当に数少なくなった個性派だった。父メジロイーグル譲りの逃げ脚質。サイレンススズカのようにスピードの違いで逃げるのでもなければ、ミホノブルボンのように王者が受けて立つような逃げでもない。例えるならば、もう他にあとがないような刹那的な逃げだった。スタートは決して上手ではない。むしろ、下手な部類に入るかもしれない。ゲートを出て、他の馬が折り合いをつけようと手綱を絞るころ、鞍上の叱咤激励に応えるかのように四肢を激しく回転させてハナに立つ。ちょっと苦しそうにクビを突き出しながら走る独特のフォームは、泥臭さを感じさせる。それもまたメジロパーマーが持っている“味”だった。
ペースは関係ない。馬の気分を損ねるか、否か。だから天皇賞(春)(G1)に出走した直後の500万下条件戦であっさりと負けたり、500万下特別を勝った直後に札幌記念(G3)を逃げ切ったりする。それでも逃げた。
草食動物であるウマは、本能で逃げるという。しかし、誤解を恐れずに言ってしまえばメジロパーマーの逃げは敢えて目標になるために逃げた。そう思う。メジロパーマーが他の逃げ馬と決定的に違うのは、絡まれたり、途中で交されたりしてもレースを投げ出さなかったことだ。初重賞勝ちを記録した札幌記念(G3)は中央競馬転厩後1度も逃げたことのない馬にハナを叩かれた。1992年宝塚記念(G1)はダイタクヘリオスに激しくプレッシャーをかけられ、同年有馬記念(G1)ではダイタクヘリオスとともに後続を10馬身以上離して逃げ、3コーナーでは同馬に一旦交わされた。それでも、闘争心に火がついた同馬は最後の力を振り絞るようにゴールを目指した。
宝塚記念(G1)の最後1ハロンは14秒0。有馬記念(G1)は13秒0を要している。共に良馬場発表での競馬。それでも追い込めない。それがメジロパーマーという馬のレースだった。
25歳。言うまでもなく、競走馬としては長寿だ。昨年の秋がそうだったように、亡くなるその日まで、年齢を感じさせないほどに元気に過ごしていたそうだ。厳寒期を超え、もう間もなく春の足音が聞こえようとする矢先、なんの前触れもなく倒れたという。それもまた逃げ馬のメジロパーマーらしい最後だったのかもしれない。たくさんの思い出をありがとう。