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12日、コマンダーインチーフが不慮の事故死

  • 2007年06月14日
  • 一昨日まで使われていたコマンダーインチーフの馬房
    一昨日まで使われていたコマンダーインチーフの馬房
  • 馬房の前には祭壇が
    馬房の前には祭壇が
 コマンダーインチーフが死んでしまった。17歳。種牡馬としてまだもうひと花もふた花も咲かせることができた年齢だっただけに惜しい。放牧中に右後肢の飛節部分を骨折。昼前にスタッフが見つけたときは、もう絶望的な状態だったという。訃報を聞き、さっそく同馬を繋養していた優駿スタリオンステーションへと向かった。
 
 初夏を思わせるさわやかな朝にふさわしくなく、スタリオン全体には重い空気が立ち込めていた。足にまとわりつく朝露さえうっとおしく、ひばりのさえずりさえ耳に障った。スタリオンの顔ともいうべきコマンダーインチーフを失ったショックは職員ひとりひとりの胸に重くのしかかっているようだった。とくに優駿スタリオンステーションは、種牡馬事故の少ないスタリオンだけに不可抗力とはいえ今回のショックは隠し切れない。いつも明るいスタッフの表情がさえないのはそのためだろう。

 山すそに建てられた一番上の厩舎。コマンダーインチーフが過ごしていた馬房には花が飾られ、米や燕麦、ニンジンなどとともに水が供えられていた。普段の激しさを物語るように馬房の壁には同馬が蹴ったあとがいくつも残っている。今となっては悲しい傷跡だ。詳しい競走成績、種牡馬成績は他に譲るとして、コマンダーインチーフは20世紀を代表するサラブレッドだったと思う。父は80年代最高の名馬と謳われたダンシングブレーヴ。半兄に欧州年度代表馬のウォーニングがおり、レインボウクエストらを擁する母系も名門の名にふさわしい。不敗の5連勝で英愛ダービーを制覇し、そのまま日本で種牡馬となった。導入が発表されると、当時、そのシンジケート株の購入を巡っては熾烈な争奪戦が行われた。そして、その期待通りに初年度産駒の1頭アインブライドがJRA最優秀2歳牝馬に選出され、同年のファーストシーズンチャンピオンサイアーに。それどころか2歳総合ランキングでもサンデーサイレンスに次ぐ2位となった。その翌年もサンデーサイレンスに次ぐ2位に。仕上がりが早くて決め手があり、そして成長力も期待できた。当時、将来のチャンピオンサイアー候補という称号を疑うものはいなかった。
 
 しかし、その良血ゆえかコマンダーインチーフの産駒には、他の馬を押しのけてまで前へ出ようというがむしゃらさに欠けるところがあった。サンデーサイレンスやブライアンズタイム、トニービンの産駒と同じ舞台で戦うには、そうした押しの弱さは致命傷となった。しかし、その美しい馬体のラインと完璧な血統は、必ずや後世に伝えられるものと信じている。今はただ、名馬の冥福を祈るとともに、残された産駒の活躍を祈りたい。

               日高案内所取材班