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パークリージェントの功労慰霊祭が行なわれる

  • 2007年05月04日
  • パークリージェントの碑
    パークリージェントの碑
  • 供養に集まった関係者方
    供養に集まった関係者方
 3月8日に老衰のために死亡したパークリージェント(牡26 父ヴァイスリージェント)の功労慰霊祭が5月1日、新ひだか町の桜舞馬公園で、しめやかに執り行われた。慰霊祭には同馬のシンジケート関係者、レックススタッド関係者ら約30人が参加。静内神社の山田一孝宮司の神事に従い、玉ぐしを捧げて同馬の功績を称えて、同馬を供養した。

 パークリージェントは、1981年のカナダ産。2歳7月にカナダのウッドバイン競馬場でデビューし、その初戦を鮮やかに初勝利で飾るなど2歳時は6戦4勝。その後もイヤリングセールSやカップ&ソーサーSなどカナダ国内の重賞競走で活躍し、85年に引退するまで29戦9勝2着3回3着4回の成績を残して種牡馬となった。その後、87年暮れに総額1億3520万円(260万円×50株)でシンジケートが組まれ、翌年から静内スタリオンステーションで種牡馬となった。
 
 鳴り物入りでのスタッドインではなかったが、初年度産駒から快速マイネルヨースや神戸新聞杯に勝ったロングタイトルなどを輩出。また2年目産駒からもアサカリジェント(弥生賞)イエローブーム(報知杯4歳牝馬特別2着)を出して不動の人気を得た。90年からはレックススタッドに移動してからもリージェントブラフ(川崎記念)ホクトペンダント(桜花賞5着)やフェイマスケイ(CBC賞3着)などを出してきた。とくに地方競馬では安定した成績を誇り総合チャンピオンサイアー2回(94、00年)2歳チャンピオンサイアー1回(95年)と3度のチャンピオンサイアーに輝き、一昨年に種牡馬生活を引退してからは功労馬として同スタッドで余生を過ごしていた。
 シンジケートの会長も務めた岡田牧夫氏は「安価な種付料にもかかわらず、産駒はコンスタントな成績を残し、貢献度の高い馬だった。安らかに眠って欲しい」としんみりとした顔で同馬の冥福を祈っていた。
 
                   日高案内所取材班

※桜舞馬公園がある二十間道路には、レックススタッドの他主なスタッドが並んでおりますが、現在は大事な種付シーズンのため一切牧場には入れません。観光客の方が迷惑を掛けていると苦情が来ていますので、御配慮ください。