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パーソナルラッシュが優駿SSに種牡馬入り

  • 2009年01月19日
  • 8日、優駿スタリオンステーションに種牡馬入りしたパーソナルラッシュ
    8日、優駿スタリオンステーションに種牡馬入りしたパーソナルラッシュ
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 “パーソナルラッシュ種牡馬入り”のニュースに驚かれた人もいるのではないか。結果的に最後のレースとなった2007年の浦和記念はゲート内膠着による競走中止。それから、1年以上の月日が過ぎていた。
 かつての希望も、栄光も徐々にファンの記憶からは薄れてきた。地方交流競走の常連として日本中を渡り歩き、そして南関東への転厩。
 「負けたら終わりじゃない。辞めたら終わりなのだ」と言ったのは第37代米国大統領のリチャードニクソンだったが、その間もパーソナルラッシュは決してあきらめることなく復活にかけてきた。そして、苦汁の選択の中から導き出した結論が現役生活の引退だった。

 思い返せば、パーソナルラッシュという馬は、いろいろな面を見せてくれた。
 2003年秋にデビューした同馬は、ダート競馬に高い適性を示し、ダート路線の出世レースといわれる昇竜Sを快勝。重賞初挑戦となったユニコーンSこそ3着に敗れたが、札幌競馬場を舞台にしたエルムSでは古馬のウインデュエルやタイムパラドックを相手に完璧な勝利を収めた。これですっかり自信をつけたのか、盛岡競馬場で行なわれたダービーグランプリではユニコーンSで後塵を拝したトップオブワールド相手に9馬身の差をつけた。
 
 そして、米国に飛んだ。目指すレースは世界最高峰のブリーダーズCクラシック。出遅れながらも、中団待機から渋太く食い下がって6番目でゴールした。
 帰国後、東京大賞典、フェブラリーSはよいところがなかったが、ダイオライト記念に優勝。一息いれたエルムSでも圧倒的な強さを見せつけた。いよいよパーソラルラッシュ時代の幕開けかと思われたが、このレースを最後に“らしさ”が消えた。それまでも気難しい面があったが、まるで走ることを拒否するようなレースを続けた。パーソナルラッシュ自身に聞いて見ないと分からないが「もう、いいよ」とでも思ったのだろうか。 
 そして、まるで競馬のファンの記憶からフェードアウトするかのように中央の舞台から少しずつ姿を消していた。盛岡、名古屋、南関東、北海道と転戦。思い出したように中央の舞台にも顔を出したが、良いところはなかった。そして、南関東の高橋三郎厩舎で再起をはかるも、一度失った闘争心は戻ることはなかった。

 しかし「体は一度も故障していないから、本気で走らなかったんだろうね。。それに世界のトップレベルと渡り合った能力は魅力」と、種牡馬として新しい道を歩むことになった。
 群馬県の境トレーニングセンターから、1月8日にはけい養先となる優駿スタリオンステーションに移動してきた。馬運車から降りた同馬は、初めてみる環境に物怖じすることなく、威風堂々の構え。拍子抜けするくらいにおとなしく人間の指示に従っていたのだが、飽きてくるとイラつく場面を見せた。
 それでも、さっそく移動当日から種牡馬になるために準備を始めている。
 「負けたら終わりなのではない。辞めたら終わりなのだ」という言葉が頭をよぎる。そう、パーソナルラッシュの戦いは、まだ終わっていないのだ。

                 日高案内所取材班