ライターの馬産地紀行 Vol.16~山田 綾子
競馬月刊誌『サラブレ』の編集者だった頃に、旅行会社主催の北海道牧場巡りツアーに参加させていただいたことがある。
その名前のとおり、2泊3日で千歳~浦河までをくまなく巡り、バス移動→馬→バス移動→馬の繰り返し。普通なら、「むかわでししゃも」とか、「足を延ばしてえりも岬」といった観光要素が入りそうなものだが、このツアーの目的はあくまでも馬を見ることのみ。昼食の時間以外は、朝8時~日没まで馬三昧のスケジュールが組まれていた。
「広告絡みで半分仕事だし、東京にいるより楽だろう」などと生半可な気持ちで参加していた私は、3ヵ所目あたりで飽きはじめ、5ヵ所目を超えた頃にはギブアップ寸前。初日の宿泊地・静内ウエリントンホテルに着いた段階で、どうやって東京に逃げ帰ろうか、と本気で考えはじめていた。
思い返してみると、なんて失礼な話だろう。自費で参加しているわけでもないのに、皆と一緒に堂々と特上寿司を食べて、放牧地ではカメラも持たずにブラつくだけ。仕事は半人前のくせに、文句だけはいっちょ前だった。
そんな愚か者のことなど無視すればいいのに、年配の女性グループが声をかけてくれて、「美味しいお店があるから一緒に行こう」と誘ってくれた。その晩に連れて行ってもらったのが、静内の名店「赤ひげ」。 疲れた体に冷えたビールが浸みわたり、鳥の半身焼は今まで食べたどの炭火焼きよりおいしかった。
牧場関係者で賑わう店内で、彼女たちは目をキラキラさせながら競馬の話、好きな馬の話をした。
一緒に話をしている間に、小学校の頃から競馬が好きで、自分で選んだ仕事なのに、いつの間か競馬に対して冷めた目をしている自分に気が付いた。
こなすことばかり考え、楽をしようとする自分。恥ずしくて、情けない。だけど、酔いが回り、彼女たちと話し込むうちに不思議と「明日からはちゃんとやろう、変わらなければ」と前向きな気持ちになっていた。
フリーになって馬産地を取材するようになって6年目。まだまだ怠け者だが、今でも「赤ひげ」で呑むと、当時の気持ちを思い出す。
私にとってあの夜は、間違いなく人生の分岐点だった。
その名前のとおり、2泊3日で千歳~浦河までをくまなく巡り、バス移動→馬→バス移動→馬の繰り返し。普通なら、「むかわでししゃも」とか、「足を延ばしてえりも岬」といった観光要素が入りそうなものだが、このツアーの目的はあくまでも馬を見ることのみ。昼食の時間以外は、朝8時~日没まで馬三昧のスケジュールが組まれていた。
「広告絡みで半分仕事だし、東京にいるより楽だろう」などと生半可な気持ちで参加していた私は、3ヵ所目あたりで飽きはじめ、5ヵ所目を超えた頃にはギブアップ寸前。初日の宿泊地・静内ウエリントンホテルに着いた段階で、どうやって東京に逃げ帰ろうか、と本気で考えはじめていた。
思い返してみると、なんて失礼な話だろう。自費で参加しているわけでもないのに、皆と一緒に堂々と特上寿司を食べて、放牧地ではカメラも持たずにブラつくだけ。仕事は半人前のくせに、文句だけはいっちょ前だった。
そんな愚か者のことなど無視すればいいのに、年配の女性グループが声をかけてくれて、「美味しいお店があるから一緒に行こう」と誘ってくれた。その晩に連れて行ってもらったのが、静内の名店「赤ひげ」。 疲れた体に冷えたビールが浸みわたり、鳥の半身焼は今まで食べたどの炭火焼きよりおいしかった。
牧場関係者で賑わう店内で、彼女たちは目をキラキラさせながら競馬の話、好きな馬の話をした。
一緒に話をしている間に、小学校の頃から競馬が好きで、自分で選んだ仕事なのに、いつの間か競馬に対して冷めた目をしている自分に気が付いた。
こなすことばかり考え、楽をしようとする自分。恥ずしくて、情けない。だけど、酔いが回り、彼女たちと話し込むうちに不思議と「明日からはちゃんとやろう、変わらなければ」と前向きな気持ちになっていた。
フリーになって馬産地を取材するようになって6年目。まだまだ怠け者だが、今でも「赤ひげ」で呑むと、当時の気持ちを思い出す。
私にとってあの夜は、間違いなく人生の分岐点だった。