馬産地コラム

ゼンノロブロイを訪ねて~社台スタリオンステーション

  • 2011年10月29日
  • ゼンノロブロイ~1
    ゼンノロブロイ~1
  • ゼンノロブロイ~2
    ゼンノロブロイ~2
  • ゼンノロブロイ~3
    ゼンノロブロイ~3

 名馬、名種牡馬が揃う社台スタリオンステーションに11歳になったゼンノロブロイを訪ねた。サンデーサイレンス系独特の皮膚感。シャープな馬体は現役時代の面影を強く残している。初年度産駒から牡馬、牝馬の両クラシック、そしてダート戦線の活躍馬を出して、今やサンデーサイレンス系の一翼を担う存在になっている。

 しかし、ここに至るまでの道のりは平坦なものではなかった。早くからクラシック候補と言われたものの、ダービー(G1)はキャリア不足も手伝って2着。菊花賞(G1)はO・ペリエ騎手を配したものの道中の不利を取り返すことができずに4着。続く有馬記念(G1)は、ここが引退レースとなったシンボリクリスエスだけではなく、同世代のリンカーンにも先着を許す3着。

 年が明けた日経賞(G2)は1.1倍の単勝オッズを裏切り、天皇賞(春)(G1)もイングランディーレの独走を許してしまう。完全に狂った歯車を戻すことはできず、宝塚記念(G1)は馬券圏外の4着。仕切り直しの秋初戦、京都大賞典(G2)も1・4倍の人気に応えることができなかった。“ポスト・シンボリクリスエス”の声も小さくなった頃の天皇賞(秋)(G1)だった。

 2004年10月31日。この日は、そんなゼンノロブロイにとって大きなターニングポイントとなった。出走してくれば人気を得ていただろうキングカメハメハが脚部不安を発症して回避。さらには古馬の実力ナンバーワンと目されていたタップダンスシチーは凱旋門賞(G1)へ飛び、実績ナンバーワンのヒシミラクルやスピード能力に長けたサクラプレジデントは順調さを欠いていた。押し出されるようにゼンノロブロイが1番人気になったもの2番人気は距離実績に乏しいテレグノシスで、3番人気は宝塚記念(G1)6着以来のツルマルボーイ。レースは混戦模様となっていた。
 
 それでも、勝ったものは強い。3歳牝馬のダンスインザムード、同世代の牝馬アドマイヤグルーヴを引き連れてゴールへと飛び込んだゼンノロブロイは、この勝利をきっかけにジャパンカップ(G1)、そして有馬記念(G1)を制覇。サンデーサイレンス産駒として初の年度代表馬になった。

 「ゼンノロブロイが勝った天皇賞(秋)(G1)は、まだ社台スタリオンステーションに入社する前のことですが、よく覚えています。サンデーサイレンス産駒の1~3着を独占でしたね」と思い出を話してくれたのは同ステーションの三輪圭佑さんだった。そして、今はそのゼンノロブロイを言葉でサポートする立場だ。「いろいろなタイプと言われますが、やはりゼンノロブロイの産駒は母ローミンレイチェルの影響を強く受けたスピードタイプが多いのではないかと思います」という。母はアメリカのダート1400mのG1勝ち馬。ゼンノロブロイ自身も若いときは、そのスピードを持て余すように惜敗を繰り返した。

 今回はゼンノロブロイ産駒で前年2着のペルーサが父仔制覇を狙う。天皇賞(春)(G1)以来というのはたしかに不利だが、昨年は3歳馬ながらも出走メンバー中最速の上がりタイムで2着に食い込んだ。東京競馬場2000m戦は3戦3連対というベストの条件だ。11歳になった父が、北の空から声援を送る。