馬産地コラム

エルウェーウィンを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU

  • 2011年01月14日
  • エルウェーウィン~1
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    エルウェーウィン~5

 2010年春。1992年の最優秀2歳牡馬エルウェーウィンが浦河町の優駿ビレッジAERUにやってきた。20歳での移動を危惧する声もあったが「環境の変化にもすぐに慣れて体調はすこぶる良いですよ」というのは乗馬部門の担当マネージャー、島村博さんだ。

 現在エルウェーウィンは、AERUの功労馬放牧地でミホノブルボンのライバルだったヒシマサル、そしてジャンパーとして活躍したケイティタイガーとともに余生を過ごしている。

 不敗の2歳王者。それもビワハヤヒデをねじ伏せてのG1優勝というタイトルは18年の歳月を重ねても、その輝きを失っていない。「訪ねてくるファンも多いですね。やっぱりこの馬のレースは印象に残っているのでしょうか」と島村さんが言う。

 2歳秋の新馬戦、そして京都3歳S、朝日杯3歳S(G1)と不敗の3連勝で2歳チャンピオンになったものの、その後は骨折による長期休養を余儀なくされた。復帰したものの精彩を欠くレースを続け、次に先頭でゴールを駆け抜けたのは、朝日杯から数えて28戦目。実に3年11か月ぶりのアルゼンチン共和国杯(G2)だった。朝日杯から1434日振りの勝利は、当時としてはJRAの重賞勝利間隔としては最長の記録になった。

 現役引退後、わずかな期間を種牡馬として過ごしていたが、種付けの機会に恵まれたとは言いがたく、2002年の種付を最後に種牡馬を引退。オーナーと親交の深い牧場で余生を過ごしていたが、2010年春にAERUに移動した。

 「なかなか負けん気の強いタイプだと聞いていましたが、同じ放牧地のヒシマサルとはすぐに仲良くなりましたね。どちらかが削蹄や治療などで放牧できないときは呼び合って存在を確認するほどですから」という。放牧地ではひとまわり以上も大きなヒシマサルとじゃれあっているようにも見える。

 「去勢したばかりですから、まだ牝馬を見て馬っ気を出すときもありますが、普段はおとなしい馬ですね。前の牧場でかわいがられていたので、人間を信頼しているようです」とかわいがられている。

 英愛チャンピオンサイアー、カーリアン産駒の2歳チャンピオンとしては恵まれた環境ではなかったかもしれない。それでも、エルウェーウィンが歩んできた道は決して恥ずべきものではない。この馬には、諦めないことの大切さを教えてもらい、そして訪れるファンの多さは、その道が誤ったものではないことを示しているような気がする。