馬産地コラム

イシノサンデーを訪ねて~JBBA静内種馬場

  • 2010年10月26日
  • イシノサンデー~1
    イシノサンデー~1
  • イシノサンデー~2
    イシノサンデー~2
  • イシノサンデー~3
    イシノサンデー~3

 たったひとつの偶然が、人生を大きく変えてしまうことがある。 

 イシノサンデーにとっては3歳初戦のジュニアCがそうだった。当初、芝の1800mで行なわれる予定だったこのレースは、東京地方には珍しい降雪のためにダートの1600mへと変更された。

 黄菊賞でのちの朝日杯3歳S(G1)2着エイシンガイモンをやぶり、暮れのラジオたんぱ杯2歳S(G3)はロイヤルタッチに頭差まで迫る2着。バブルガムフェロー、ロイヤルタッチ、ダンスインザダークとともにSS四天王とまで言われていたイシノサンデーにとっては、ダートのオープン特別を走ることに大きな意味はない。しかし、容易にスクラッチが認められないこの国のシステムでは回避が許されずに、高いダート適性を示すだけの結果となった。

 サンデーサイレンス直仔として2頭目の皐月賞馬となったイシノサンデーにとって、一見するとオマケのようなこの勝利が、後々に足かせのように同馬を追い詰める。距離を嫌って菊花賞(G1)を諦めたイシノサンデーが向かったのは、芝の中距離路線ではなく、大井競馬場に新設された第1回スーパーダートダービー、そして盛岡競馬場のダービーグランプリの舞台だった。そして、ダービーグランプリに優勝。やや変則ながらも史上初めて芝とダートの2冠馬となった。

 4歳になったイシノサンデーは京都金杯(G3)をトップハンデで制したものの、目標を見失ったようなレースを続けた。ドバイワールドCを目指して出走した川崎記念、フェブラリーS(G1)を見せ場なく敗れるとダート競馬を断念。さらには骨折による長期休養もあって、自信をなくしたように凡走を続けた。

 5歳春の安田記念(G1)6着を最後に引退すると、JBBA日本軽種馬協会下総種馬場で種牡馬になった。千葉県からスタートしたイシノサンデーの種牡馬キャリアは、青森、九州、そして青森と場所を移し、2009年に生まれ故郷の静内に戻ってきた。サンデーサイレンス産駒のG1ウイナーの里帰りは話題になったが、残念ながら種付の機会には恵まれていない。

 「愛嬌のある馬でファンの方の人気は1番人気です。まだ17歳。体も若く、馬は元気一杯ですよ」とJBBAの遊佐繁基種馬課長。いまでもバレンタインデーにはチョコレートが届くそうで、変わらぬ人気を誇っている。明るい栗毛の4白流星。今でも目を閉じるとピンクのメンコとオレンジのシャドーロールを揺らして走る姿が目に浮かんでくる。あのジュニアCがダート変更にならなかったら、と思うのはよそう。芝とダートの変則2冠馬は日本競馬史上でこの馬だけなのだ。