馬産地コラム

ラガーチャンピオンを訪ねて~高知県・土佐黒潮牧場

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 ウイニングチケット、ビワハヤヒデ、ナリタタイシンの3頭で三冠を分け合った1993年のクラシック戦線で名脇役として活躍し、セントライト記念(G2)を制したラガーチャンピオン(牡20歳、父ホリスキー 母ハーモニーゼア)を高知県須崎市の土佐黒潮牧場に訪ねた。

 本馬は1992年7月デビュー、2戦目で初勝利を挙げると、秋には萩ステークスを優勝しオープン入りした。翌1993年、バイオレットステークスで3勝目を挙げ、アーリントンカップ(G3)、スプリングステークス(G2)と連続2着、皐月賞(G1)に駒を進めるも6着に敗れた。秋を迎え、京王杯オータムハンデ(G3)7着から挑んだセントライト記念(G2)に優勝し重賞制覇を果たしたが、本番の菊花賞(G1)では8着に敗れた。

 その後は、勝ち星を挙げることは叶わず、金沢→船橋→高知と地方競馬場を渡り歩いたが、7歳(現6歳)となった1996年4月、高知競馬で2年7ヶ月ぶりの勝利を挙げた。10歳(現9歳)となる1999年3月まで走り続け、通算成績61戦19勝(中央23戦4勝、地方38戦15勝)の成績を残した。

 引退後、本馬は土佐黒潮牧場にやってきたが、まずはこの土佐黒潮牧場について語らなければならないだろう。

 土佐黒潮牧場は、1995年12月に高知県須崎市に開場した(おそらく)日本で初の「馬の余生の為の牧場」だ。土佐湾の内海である浦ノ内湾の海に面した風光明媚な場所にある。この地に牧場を開いたのは、高知で建設業を営んでいた濱脇敬弘さん。「昔から農耕馬など身の回りに馬の居る環境で育ち、競馬も好きでしたから、いつか馬の余生を面倒見る牧場を作りたい。」と思っていたそうだ。

 先祖から受け継いだ土地に、建設業で培ったノウハウで資材などに工夫を凝らし、最初に8馬房の厩舎と6つのパドックを作った。その後、馬が増えると厩舎を左右に増築し、厩舎の南にパドックも増やし、現在は12馬房12パドックが整備され、BTCの功労馬8頭、(BTCの対象でない)功労馬3頭の11頭が余生を送っている。

 最初に功労馬として引き取ったのは、新潟→園田→福山→高知と渡り歩き、103戦15勝の成績を挙げたアラブのブルーシーズ。2頭目が77戦9勝の成績を挙げた後、愛知県で14年間乗馬として暮らしていたサラブレッドのヤングブッシュ。1999年3月27日、BTC「引退名馬等のけい養展示」の助成対象馬として牧場に仲間入りしたのがラガーチャンピオンだ。

 当初は濱脇さんの持ち出しと賛同者の寄附金で運営されていた牧場だが、BTCの功労馬を受け入れる事になると、「引退競走馬の里親制度」を導入した『黒潮友馬会(くろしおゆうばかい)』を設立した。「競馬雑誌にラガーチャンピオンの事を取り上げて貰ったら、すぐに会員さんが25名に増えてラガーの人気にビックリしました。」と濱脇さん。

 決して楽な牧場経営ではないが、現在は会員も120名余りに増え、「BTCの助成金・会員さんからの会費・寄付金」で11頭の功労馬を養っている。馬の面倒は、代表の濱脇敬弘さん、奥様の郁子さん、娘さんの由起子さんの家族でおこなっていたが、今では従業員1名を雇えるまでになった。

 「以前は、個別の馬に対する応援の(里親)会員さんが多かったのですが、今は牧場の趣旨に賛同して『土佐黒潮牧場を応援してくれる』会員さんが増えました。本当にありがたいことですね。今は馬房は1つ空いていますが、馬1頭に1馬房1パドックの環境は守ってやりたいので、これ以上増やすのは難しいですね。馬房が空く時は、余生を終えた馬が出た時でしょう。」と濱脇さんは語る。

 本馬の近況について伺った。「この馬は牧場ではボス格ですよ。面構えも良く、眼光鋭い大親分です。動作も荒々しいですが、繊細で賢い部分もあります。歩様とか見ていると惚れ惚れするので『種馬にすれば走る仔が出たんじゃないかなぁ』と思います。」

 この牧場に暮らす馬は、目つきが穏やかだ。もうレースで走らなくても良いことを分かっているのだろう。今年20歳の大台を迎えた本馬だが、まだまだ元気に暮らしてもらいたい。
取材班

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