馬産地コラム

あの馬は今Vol.19~有馬記念・ダイユウサク

  • 2006年12月24日
  • 今のダイユウサク~うらかわ優駿ビレッジ「アエル」
    今のダイユウサク~うらかわ優駿ビレッジ「アエル」
  • 同

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1991年12月22日 有馬記念 優勝馬 ダイユウサク

札幌から3時間半。千歳からでも2時間半はゆうにかかる。高速日高道が日高富川まで延長された今でも都市部からのアクセスは決して良いとはいえない。何もなさそうで、それでいて普段忘れているものを思い出させてくれる場所、ここを訪れただれもが、素敵な何かに「会える」ように、と名付けられた「AERU」。そこがダイユウサクにとっての与えれた安住の地である。
 
 21歳。同期にはオグリキャップやサッカーボーイがいる世代。しかし、デビュー戦から天才的な走りを見せた馬と同期生と異なり、ダイユウサクのレースには人生があった。デビューは3歳の10月30日。京都競馬場。この日、オグリキャップは東京競馬場でタマモクロスと雌雄を決する戦いをしていた。
 そこから遠く離れた京都競馬場でデビューしたダイユウサクに待っていたのは勝馬から13秒離されたシンガリ負けという現実だった。2戦目はスタートこそダッシュを決めたが、徐々に遅れて再びのタイムオーバー。この時点で競走馬として失格の烙印を押されても不思議ないデビューだった。遅生まれで、牧場時代は「他の馬にいじめられてばかりいました(生産者の中野富男さん)」というダイユウサクは、人間にもなつこうとせずに逃げ回ってばかりいたという。
 そんなダイユウサクが一世一代の脚を使ったのが有馬記念だった。あの日、ツインターボの逃げをプレクラスニーが追いかけ、そこにダイタクヘリオスが絡んできた。そんなハイペースの流れの中、1番人気のメジロマックイーンが「勝ち」にいった。みんなが自分の形にこだわり、そして勝ちたいと願った、そんな展開だった。ダイユウサクもまた、自分のペースを守り、じっくりと構えて脚をためた。先行争いを制したプレクラスニーをメジロマックイーンがとらえようとした瞬間、内から豪快に伸びたのがダイユウサクだった。2分30秒6のレコードは従来のそれを1秒1縮める快走だった。その後、燃え尽きたように凡走を繰り返したダイユウサクは、翌年暮れに引退。種牡馬となったが、現在は前述のAERUで悠々自適の生活だ。
 「肩と、腰が悪くて乗馬には適さないから放牧のみです。1番の古株なんですが、あまり他の馬には興味がないようですね」と途中から合流したニッポーテイオーやウイニングチケットとは一定の距離をおいて草を噛んでいる。「今でも多くのファンがたずねてくれる人気馬です。幸せな馬ですね」とスタッフが目を細めている。
 
 タイムオーバーからのG1制覇。あの有馬記念から15年の月日が経った。それでも、年の瀬になると、ほとんどの競馬ファンはダイユウサクの名前を思い出す。幸せな馬だと、本当にそう思う。

            日高案内所取材班