馬産地コラム

あの馬は今Vol.4~皐月賞・ミホシンザン

  • 2006年04月18日
  • 今のミホシンザン~4月12日撮影
    今のミホシンザン~4月12日撮影
  • 同

 サラブレッドが織り成す血のドラマ。それは競馬だけが持つ最大のエンタテイメントだ。カツラノハイセイコのようにダービーの晴れ舞台で父の無念を晴らす場合もあれば、トウカイテイオーのように父の歩んだ道をなぞるケースもある。また、近年ではダイナカールの仔エアグルーヴがアドマイヤグルーヴの母になった。いずれの場合もオールドファンはニューヒーローに父の面影を重ね、若いファンは産駒の活躍に母の勇姿を思い浮かべる。

 ニッポン競馬に偉大なる足跡を残したシンザン最大の功績は、父内国産種牡馬の道を切り開いたことだ。シンザンが現役生活を引退してスタッドインを果たした当時、5冠馬といえども配合を希望する生産者はごくわずかだったという。恵まれない環境の中から多くの活躍馬を出し、それがミナガワマンナ、そしてミホシンザンへとつながった。
 だからというわけではないが、1985年の皐月賞馬ミホシンザンは、いかにもシンザン産駒らしいシンザン産駒だった。決してスマートとは言いがたい、父を彷彿させる武骨な馬体。鮮やかではないが、きっちりと勝利を積み重ねる姿も父を思い出させた。そして重馬場が苦手というのもシンザン産駒に共通した特徴のひとつだった。
 
 デビューから不敗の4連勝で皐月賞を勝ち、ダービーは不出走だったが秋には菊花賞を完勝した。有馬記念はシンボリルドルフの2着。そして6歳になって天皇賞・春に勝った。父には及ばなかったものの、通算成績は16戦9勝2着1回3着4回。シンザンを知るファンに、父を思い出させるには十分な成績だった。

 そんなミホシンザンも24歳になった。現在は日高町(旧門別町)の谷川牧場分場で悠々自適の日々を過ごしている。若々しい馬体。肌つやはよいし、目はらんらんと輝いている。「放牧地ではおとなしいけど、朝晩の出し入れのときなんかはクビを下げて気合を乗せるんです。現役時代のパドックそのままですよ」と牧場スタッフが頼もしそうに目を細める。
 「シンザンも最後までプライドの高い馬だったと言いますものね。この馬もそうです。そういった気性の強さが血統なんでしょうね」と胸を張った。驚いたのは、シンザンはもちろん、ミホシンザンの現役時代も知らないだろう若いファンも同馬をたずねてくるという。
 シンザンは、やはりシンザンだった。虎は死して皮を残し、人は死んで名を残すという。ニッポン競馬に偉大なる足跡を残したシンザンは、死んでなお、多くの競馬ファンに語り継がれるロマンを残してくれた。ミホシンザンの存在がそれを証明している。

         4月12日 日高案内所 取材班