馬産地コラム

あの馬は今Vol.23~皐月賞・ミホノブルボン

  • 2007年05月02日
  • 今のミホノブルボン~ファニーフレンズファーム
    今のミホノブルボン~ファニーフレンズファーム
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 1992年 4月19日 皐月賞 優勝馬ミホノブルボン

 あの日、中山競馬場は雨だった。この年、週末毎に降った雨はこの日も競馬場の馬場を容赦なく叩き、雨雲は刻一刻と厚みを増してレースを迎える頃には真っ暗になっていた。その中で、まるでスポットライトを浴びているかのように鍛え上げられた栗毛の馬体が輝いて躍動した。スタートからゴールまで1度として他馬に先頭を譲ることなく、ピンクを基調とした勝負服には泥ひとつ付かないままのゴールインだった。早めにミホノブルボンを追いかけたスタントマンや虎視眈々と上位進出を狙ったアサカリジェント。ゴールまで馬群をこじ開けるように伸びたナリタタイセイも、すべてが脇役だった。
 勝ったミホノブルボンは、デビューから不敗の5連勝。降りしきる雨の中、勝ちタイムの2分1秒4はシンボリルドルフが記録した2分1秒1に次ぐものだった。その後、ダービーも危なげなく逃げ切ったが、菊花賞ではライスシャワーの2着と敗れ、94年から日高軽種馬農協門別種馬場で種牡馬となった。
 
 しかし、時代はトニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスを筆頭とする外国種牡馬全盛時代だった。競走時代に素晴らしいパフォーマンスを発揮したとはいえ、地味な血統のミホノブルボンの血を求める声は次第に小さくなり、03年の種付を最後に生まれ故郷の原口圭二牧場(現在はファニーフレンズファームと改名)に戻っていった。通常ならば、功労馬として悠々自適の生活となるところだが「今でも、現役の種牡馬ですよ。その方が馬も幸せでしょう。毎年、4-5頭は配合しているよ。自分でも配合しているし」と原口さん。その中の1頭、イエヤス(牡7歳 林和弘厩舎)は、昨年、道営競馬の最高峰レース道営記念にも出走した。
 
 ミホノブルボン専用のパドックには出入りが自由な厩舎が併設されており、ミホノブルボンが気ままに過ごしている。また、ここには休憩室が設けられており、訪れるファンが思いを綴ったノートが置いてある。「勝手に来て、書いてくれるのは嬉しいんだけど、出来れば声を書けて欲しいんだ。どんな人がたずねて来てくれるのか知りたいよ。それが、ボクにとっての楽しみでもあるし」と言うその先に幸せそうなミホノブルボンがいた。
(見学条件は決まっておりますので、必ずご確認の上、ご見学に行かれますようお願い致します)。

                  日高案内所取材班