馬産地コラム

ローレルゲレイロを訪ねて~村田牧場

  • 2017年09月28日
  • ローレルゲレイロ
    ローレルゲレイロ
  • 自由に出入りできる馬房と放牧地
    自由に出入りできる馬房と放牧地
  • 母ビッグテンビー
    母ビッグテンビー
  • 村田繁實社長
    村田繁實社長
  • 村田牧場の看板
    村田牧場の看板

 秋のG1シリーズの開幕戦、第43回スプリンターズステークス(G1)で2009年に優勝した快速馬ローレルゲレイロ(13歳)を訪ねた。種付けがオフシーズンに入ったため優駿スタリオンステーション(新冠町)を離れ、生まれ育った村田牧場(新冠町)でのんびり過ごしている。

 現役時代は31戦5勝。函館で新馬勝ちしたあと、朝日杯フューチュリティS(G1)、NHKマイルカップ(Jpn1)はともに2着健闘するも惜敗した。4歳になり東京新聞杯(G3)、阪急杯(G3)を連勝すると5歳時には短距離の高松宮記念(G1)、スプリンターズステークス(G1)を制覇し2009年JRA賞最優秀短距離馬に輝いた。海外遠征にも3度挑戦し6歳時のドバイゴールデンシャヒーン(G1)では果敢にハナを奪って4着、自慢のダッシュを世界の舞台で披露した。

 同馬は父キングヘイロー、母ビッグテンビー、母父テンビーという血統。生産した村田牧場は昭和5年創設の老舗牧場で現在は繁殖牝馬を約25数頭抱える日高でも有数の大手牧場だ。生産馬には岩手競馬でデビューし3連勝、その後中央に移籍し桜花賞(G1)、オークス(G1)と続けて2着に入ったユキノビジンなどがいる。

 最近のローレルゲレイロの様子を村田繁實社長に教えてもらった。「今は悠々自適な生活を送っています。放牧地へ自由に出入りできる厩舎に住んで好きな時に放牧地に出て草を食べたり厩舎で飼い葉を食べたり、一日中のんびりしています。」専用の放牧地は住み心地が良さそうですっかりリラックスしている。「現役時代はよく走ってくれました。数ある中で2歳時の朝日杯フューチュリティS(G1)と3歳時のNHKマイルC(Jpn1)は、勝てると思ったらかわされて2着、あと少しだったという惜しいレースが思い出に残っています。その後4歳5歳と活躍できるようになりスプリンターズステークス(G1)では長い写真判定の結果、1センチ差でG1勝ち。香港やドバイまで連れて行ってくれました。ドバイの国際レースでは4着に残るという健闘でした。」懐かしさに思わず笑顔がこぼれた。

 母ビッグテンビーは札幌でデビューし新馬戦を勝利するなど優れたスピードの持ち主だったがソエがあったので無理をしないようにと3年弱の競走生活を終え繁殖牝馬になった。「その初仔がローレルゲレイロだったんです。当時は特別に期待を寄せてはいませんでしたが、こればっかりは授かりものですね。小柄でとてもバランスが良く足腰がしっかりした、故障なしに競馬ができる馬でした。自慢のダッシュ力は母のスピードを受け継いだのかも知れません。G1馬になって帰ってきて、種牡馬として活躍した馬を生産できて、こんな事は一生に一度か二度、あるかないかの事ですので生産者としてはこんなに嬉しい事は無いですよ。」幸せな思いをくれたローレルゲレイロの誕生には、人との縁があったから実現したと村田社長は言う。

 村田社長が代表を務めていた新冠地区の軽種馬総合商社、(株)優駿を立ち上げ、品種改良を進めようと繁殖牝馬を買い付けに地元の生産者メンバーと海外のせりに足を運んでいたそうだ。「グッバイヘイローというアメリカの一流馬を、一緒に行っていた協和牧場さんが購入したんです。現地では夕方のテレビのニュースでも取り上げられていましたよ、グッバイヘイローが日本に行くというので「SAYONARA  グッバイヘイロー」という見出しがついてね(笑)。その馬にダンシングブレーヴを配合してキングヘイローが生まれました。テンビーも私達が導入しました。そしてビッグテンビーが生まれた。そしてこの2頭の配合によりローレルゲレイロが誕生したのです。私達仲間の出会い、縁がある馬でG1に勝てて非常に幸運でした。馬は奥が深いです。授かりもののようなものだから、コツコツと日々を重ねているうちに運が良ければまた幸運をもたらす馬に出会えるかもしれないですね。ローレルゲレイロには、今は我が家に帰って来たようなものだからのんびりと過ごしてもらいたいと思います。優駿スタリオンからもお客様からの要望があれば利用して頂きながら産駒に活躍馬が出てくれたら嬉しいですね。」人の縁で生まれて来た英雄スプリンターは家族に大切に見守られながら、来シーズンへ向けてじっくりと英気を養っている。