馬産地コラム

ネーハイシーザーを訪ねて~荒木牧場

  • 2016年10月27日
  • ネーハイシーザー
    ネーハイシーザー
  • のんびりと歩を進め馬房へ
    のんびりと歩を進め馬房へ
  • 荒木さんと
    荒木さんと
  • 馬房にはファンからのお守りが飾られている
    馬房にはファンからのお守りが飾られている
  • 優しい瞳
    優しい瞳

 強豪揃いだった1994年天皇賞(秋)(G1)、抜群の切れ味を発揮しターフを駆け抜けたネーハイシーザーを訪ねた。新ひだか町東静内の荒木牧場でのんびりと余生を過ごしている。

 ネーハイシーザーの父サクラトウコウは12戦4勝、主な産駒にスガノオージ(毎日王冠(G2)、カブトヤマ記念(G3))、マルタカトウコウ(栗東S 2回)などがいる。母ネーハイテスコの父テスコボーイはトウショウボーイやサクラユタカオーなどの快速馬が産駒にいる。

 スピード血統の素質が開花したのは1993年の中日スポーツ賞4歳ステークス(G3)。稍重馬場だったにも関わらず日本レコードで優勝した。菊花賞(G1)では心房細動を発症し大敗してしまったが、中距離路線に絞り込んだ4歳時に本格化し、阪神競馬場芝2000mの大阪杯(G2)と京阪杯(G3)を連勝。毎日王冠(G2)で自身が持つ日本レコードタイムを更新して優勝。迎えた天皇賞(秋)(G1)では、ビワハヤヒデを尻目にセキテイリュウオーを抑えてG1初制覇を果たした。

 「年齢と共に弱い部分も出て来てしまうものですが、それでも元気に過ごしています。昨年の夏は暑さが厳しかったので大変でしたが今年は体調で心配な所はありません。朝5時に放牧、15時に集牧しています。食べる速度や量、体格も年相応ですね。もう少し馬体にハリがあると良いのですが…。」微笑みながら荒木牧場の荒木貴宏さんは、傍に寄って来たネーハイシーザーの頬を優しく撫でる。競走馬時代のキリッとした目つきではなく、温厚な眼差しと人懐っこい仕草で「可愛い」という表現がぴったりのおじいちゃんになっていた。

 競走馬を生産している荒木牧場は引退馬の繋養や、引き取り先が決まっていない引退馬を一時的に預かるなどの救済を行う「荒木牧場功労馬サポーターズ」を立ち上げ、現在はネーハイシーザーがその対象になっている。これに賛同し応援してくれている会員さんが全国に30名程集まってくれたそうだ。「自分達が生産した馬を最後までみるというのが理想なのでしょうけれどもそれはなかなか難しい事です。ですからせめて、活躍した馬達が安心して最後を迎えられるような施設があれば馬も幸せですよね。そういう思いがあってこの会を設立しました。皆さん遠方から元気にしているだろうかと心配して会いに来てくれます。もちろん一般のファンの方も。馬は会いに来てくれているとわかっているんですよ。今年の9月は牧場に一般の旅行会社ツアーや引退馬協会のツアー、浦和競馬場の方も視察に来られたりしてひと月だけで100名ほどが訪れてネーハイシーザーや牧場を見学しました。こういうふれあいを通じて、今も元気でいる事がファンに伝わったら良いなと思います。」

 26歳の馬の元気を持続するのは簡単なことでは無い。そこで荒木さんが気を付けているのが毎日の食事と、ストレスをかけない事なのだそうだ。「この年になると楽しみは食べる事と馬房に帰ってゴロンと寝る事、あとは天気が良い日に放牧地でのほほんと過ごしたりするくらいだと思うんです。だから一つの放牧地に1頭ずつ放牧して気遣いなくのんびり過ごせるようにしたり、年齢を重ねると消化吸収しづらくなってくるので腸内環境を整えて病気にならないように予防する食事にしています。健康な馬体維持のための食事は、人間と一緒なんですよ。競走馬時代は一生懸命走った馬だから、平凡な言葉かもしれないけれど命ある限りできるだけ長生きしてもらいたいと思っています。」

 馬房に厚くふかふかに敷かれた寝藁とクラシック音楽。一時は行き先を失いかけたネーハイシーザーだが、荒木さんとご家族とファンからの温かい思いやりに包まれて幸せにのほほんと暮らしている。