ヤマニンゼファーを訪ねて~錦岡牧場
ヤマニンゼファーを訪ねた。この馬は、1992年、1993年の安田記念(G1)を制し、93年には天皇賞(秋)(G1)も制覇。決選投票の末に年度代表馬のタイトルはビワハヤヒデに譲ったもののJRA賞最優秀4歳以上牡馬、最優秀短距離馬、最優秀父内国産馬(現在は廃止)の3つのタイトルを獲得。現役引退後は種牡馬として14年間活躍した後、現在は生まれ育った錦岡牧場で功労馬生活を送っている。父はニホンピロウイナー、母ヤマニンポリシー、母父Blushing Groomという血統で、父ニホンピロウイナーも1983年から3年連続して最優秀短距離馬に輝いている。
ヤマニンゼファーが暮らす錦岡牧場の育成厩舎は新冠町新和にある。その育成施設は3棟の厩舎と広大な放牧地、ゆったりとした造りのウォーキングマシン、インドア馬場とロンギ場、1400mの屋外走路など充実し、手入れが行き届いた気持ちの良い空間でオーナーブリーダーだからこそできる強い馬づくりに励んでいる。これまでにはヤマニンゼファーをはじめヤマニンウエーブ(天皇賞(秋))、ヤマニンリスペクト(函館記念(G3))、ヤマニンアラバスタ(府中牝馬S(G3))、ジョリーダンス(阪神牝馬S(G2))、イコピコ(神戸新聞杯(Jpn2))など数々の重賞勝ち馬を輩出してきた。今年は25頭余りの若駒達がデビューに向けて準備を整えている。
3歳春とデビューは遅れたものの、デビュー3戦目のクリスタルC(G3)で3着と当初から高いスピード適性を示していたヤマニンゼファー。重賞初制覇は4歳春の安田記念(G1)になったが、その後は芝短距離重賞の常連として安定した成績を残し、5歳時の安田記念(G1)、京王杯スプリングC(G2)も優勝。天皇賞(秋)(G1)にも優勝、冒頭の年度表彰タイトルを受賞した。
「種馬だった頃は、他の馬に睨みをきかせていたと言う話もあったくらいなので、この牧場に帰ってきた当初はうるさい面もありました。ですが、のんびり過ごす生活を送るようになったら穏やかな性格になりましたね。毎朝5時過ぎに放牧、午後3~4時に集牧、飼い葉、手入れというリズムの生活をしています。手入れの時はポーッとしていますよ。」ヤマニンゼファーの近況を教えてくれた牧場スタッフの鈴木詩織さんは、育成厩舎の作業をしながらゼファーの世話も担当しているそうだ。「2~3年前から父がミスターシービーのヤマニンエスコート(セン20歳)と一緒に放牧しているのですがいつもつかず離れずの調度良い距離感を保っていて、とても仲が良いです。元気で食欲もあり健康に過ごしていますが今年28歳になり歯が弱っていますので、餌に水分を多めにいれて食べやすいように工夫しています。」放牧地に向かい、2頭の様子を伺うとヤマニンゼファーがヤマニンエスコートを頼っているかのように寄り添いながら、ゆっくりと散歩を満喫。近くを野ウサギが走っていても、気にすることもなくのんびりと青草を食んでいる。
数年前まで育成調教に携わり、ジョリーダンス(2001年生 阪神牝馬S(G2)2回)やヤマニンメルベイユ(2002年生 中山牝馬S(G3)、クイーンS(Jpn3))なども担当していた鈴木さん、当時、もっとも大切にしていたことは、わずかな馬の体調の変化を見過ごさないことだったという。餌の残り具合なども気にかけていたそうだ、「ゼファーは体が小さい馬なのに一生懸命走って成績を残したんだと思うとあらためてすごい馬だなと思います。これからはのんびりと過ごしてもらい、健康で長生きして欲しいですね。夏になるとファンの方がたくさん会いに来てくれますので、元気な姿を観て頂けたらと思います。」と優しい笑顔でエールを贈った。
種牡馬としてサンフォードシチー(武蔵野S(G3)、ジャパンCダート(G1)2着)などを残したほか、ブルードメアサイアーとしてもしっかりと次世代にバトンを渡したヤマニンゼファーは、今日も相棒と心地良いスローライフを満喫している。