サイレントディールを訪ねて~ブリーダーズ・スタリオン・ステーション
種付けシーズンも終盤を迎えた7月初旬。濃い霧に包まれた早朝のスタリオンに、厩舎の重い扉を開ける音が響き渡る。冬から春先にかけて、1年分の仕事をこなしてきた種牡馬たちが放牧に出される時間だ。シーズン真っ只中のピリピリした雰囲気とは異なり、穏やかな空気が名馬たちの背中にゆっくりと流れていく。
皐月賞馬アンライバルド(9歳)、天皇賞馬カンパニー(14歳)、ダートG1・9勝馬ヴァーミリアン(13歳)に囲まれた放牧地で、悠々と草を食むサイレントディール(15歳)。2009年、ここ日高町のブリーダーズ・スタリオン・ステーションで9歳の時にスタッドインし、種牡馬生活も今年で7年目を迎えている。
「サイレントディールは、今シーズンも大活躍でした」と話を切り出したのは、同スタリオンの坂本教文場長。近年の種付数からすると意外な言葉だったが、「彼は種牡馬とあて馬の二足の草鞋を履いているんです。あて馬というのは種付けに来た繁殖牝馬の発情を促す役目なのですが、時には後脚で蹴られたりすることもありますので、臆病な馬にはできない仕事なんですね。その点サイレントディールは、怯まずに向かっていく強い心を持っていますので、きっちりと仕事をこなしてくれる貴重な存在なんです。今シーズンも130頭近くに、あて馬の役目を担ってくれました」とその理由を明かす。「あて馬をする時は勇ましく向かっていくのですが、実際に種付けをする時は意外に優しいんですよ」と笑顔を浮かべて教えてくれた。
全姉トゥザヴィクトリーの活躍を受け、2000年のセレクトセール当歳市場にて1億1,550万円(税込)の高額で取り引きされたサイレントディール。『ミリオンホース』という周囲の大きな期待を背負って2歳9月にデビューし、3歳冬のシンザン記念((G3)、芝1600m)で重賞初勝利を挙げると、皐月賞((G1)、芝2000m)6着、日本ダービー((G1)、芝2400m)4着とクラシック路線を歩んでいく。驚かされたのは、3歳秋の武蔵野S((G3)、ダート1600m)。デビュー以来、初めてのダート戦となったにも関わらず1番人気に支持されると、2着馬に4馬身差をつける圧勝を収めたのだ。4歳時には、フェブラリーS((G1)、ダート1600m)2着をステップにドバイワールドC((G1)、ダート2000m)にも遠征。このままダート路線を歩んでいくものと誰もが考えたが、帰国後は再び芝路線へと戻り、8歳まで芝・ダート両方の重賞を沸かせつづけた。生涯戦績は芝が22戦4勝(重賞1勝)、ダートが28戦3勝(重賞2勝)。芝からダートへ路線変更してトップホースへのぼり詰めた馬は過去にも多数いたが、芝とダートを行ったり来たりしながら双方で長く活躍したのは珍しいケースだろう。
「サイレントディール自身は芝でも良績を残した馬ですが、産駒はダートでの活躍が目立ちますね」と坂本場長が話すように、今年の東京ダービーを産駒のラッキープリンスが優勝。父にダービーのタイトルを届けると、中央馬を交えたジャパンダートダービー(Jpn1)でも地方馬最先着の3着と大健闘を見せた。「東京ダービーは事務所のテレビで見ていたのですが、人気もなかったですし、気楽な気持ちで観戦していたんです。そしたら直線、あの見事な抜け出しでしょ。ゴールの瞬間、『えっ? ディールの仔で間違いないよな?』と思わず新聞を見直しましたよ(笑)」と笑顔を見せる。昨年の東京ダービーも、同スタリオンで繋養されているアッミラーレの産駒ハッピースプリントが制しており、「サンデーサイレンス直仔の種牡馬からは、いつどこで大物が出てきても不思議じゃないですから」と、改めてその血の優秀さを強調する。
「東京ダービーがまだ種付シーズン中だったので、そのあとグンと種付数も伸びましたね。今後のラッキープリンスの頑張り次第で、来年はさらに多忙なシーズンとなるのではないでしょうか。これからも健康に過ごし、長く頑張ってくれることを願っています」と、あて馬の仕事に加えて本業の種付けも忙しくなりそうなサイレントディールを思いやる坂本場長。
写真撮影中、何時間も草を食みつづけていたサイレントディールが、いきなり顔を上げて種付場の方角を遠い目で見つめ始めた。どうやらこの日に種付けを予定されていた繁殖牝馬が牧場から運ばれてきたようだ。その馬運車の音に敏感に反応し、仕事モードに入ろうとするサイレントディール。「今日はお仕事ないみたいだよ」と優しく声をかけて、初夏の日差しが眩しいスタリオンをあとにした。