ヒシマサルを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU
浦河町西舎にある、うらかわ優駿ビレッジAERUにヒシマサルを訪ねた。
1989年、アメリカで生まれたヒシマサルは、競走馬として日本にやってきた。2歳でデビューして3戦1勝。3歳になった1992年春、500万下条件戦の寒梅賞を武豊騎手の騎乗で勝利したのをきっかけに、そこから、初勝利を飾った田島信行騎手とのコンビできさらぎ賞(G3)、毎日杯(G3)、京都4歳特別(G3)とG3レースを3連勝。外国産馬ブームの先駆けともなったが、4歳となった1993年に脚部不安のため現役を引退した。
引退後は種牡馬となったが、2001年限りで種牡馬も引退。現在は、引退名馬けい養展示事業助成対象馬として、うらかわ優駿ビレッジAERUで繋養されている。
AERUでは再現厩舎で生活している。明治40年9月に西舎の日高種馬牧場に建設された、第一牝馬厩舎の外装を再現したノスタルジックな建物だ。
ヒシマサルはAERUに来た当初、性格がきつくて他の功労馬と一緒に放牧できなかったそうだ。だが徐々にうちとけて、最近では特に1歳年下のウイニングチケットと仲が良く、2頭で噛み合ったりして遊び、無口頭絡を放り投げたりするので今では最初から頭絡ははずして放牧しているという。
毎日朝7時頃に放牧。アブがたくさん飛ぶ時間帯や日中熱い時間は厩舎に戻り、午後に涼しくなってからまた放牧してもらう生活だ。
ヒシマサルなりに、色々なこだわりを持っていて、例えば放牧時は一番最後、集牧は一番最初ではないと気がすまず、一番先に出入り口で待っている。他馬を押しのけてでも最初に帰りたいらしい。喜怒哀楽がわかりやすく、25歳になった今でも子供っぽさが残っていて微笑ましい。
一緒に放牧されているニッポーテイオー(31)、ウイニングチケット(24)の中ではリーダー的存在で、少々威張ってみせることもあるようだ。体力はもちろん、食欲も衰えず肉付きも良い。25歳なのに多毛でとてもその年齢には見えない。健康そのものだ。
AERUの乗馬責任者太田篤志さん(28)は初めてヒシマサルに会った時、年の割には馬格があり、しっかりした体をしていたので、迫力がある馬だと感じたと言う。「父親がSecretariatですし、風格を感じました。」そして「放牧の時など、油断すると長くはえた草を食べに行こうとして、すごい力で引っ張ったりすることがあるので気をつけています。怒っても、全然気にしない奔放な性格なんですよ」と教えてくれた。
短い北海道の夏を、友と共に楽しんでいるヒシマサルに是非会いに行って欲しい。