ウイニングチケットを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU
馬にとっては一生一度の晴れ舞台。裏を返せば、ダービー馬というのは、毎年、必ず1頭は誕生する。
しかし。
たかが1勝。されど1勝。ホースマンであれば誰もが夢見るレース。それがダービーというレースなのだ。
リーディングジョッキーになった。皐月賞も、菊花賞も、天皇賞も制してきた。ワールドスーパージョッキーシリーズだって優勝している。そんな柴田政人騎手(現・調教師)にとって、ダービーというレースは、完成間近のジグソーパズルから抜け落ちたワンピースのようなものだった。積み上げてきた栄光も、人知れず流した涙も、その1ピースを当てはめなければ、まったく意味のないものになってしまう。そんな状況だった。デビュー4年目にめぐり合ったアローエクスプレスは「騎手が若い」という理由で乗り替えられた。皐月賞馬ミホシンザンはともにダービーの舞台を踏むことさえできなかった。
過去18回の挑戦で3着2回。恥ずべき数字ではないが、柴田騎手が積み上げてきたものを考えた場合、物足りないのも事実だ。その物足りなさが、逆にダービーというレースの激しさを表現していた。騎手生活27年目。アスリートとしての円熟度を考えた場合、ラストチャンスとなる可能性も否定できない。そんな状況下でのダービーデイだった。
「まばたきさえ許さない、3つのプライドの激突」。テレビのCMでは、そう表現している。皐月賞馬ナリタタイシン。その皐月賞(G1)で1番人気の支持を受けたウイニングチケットと、同2着のビワハヤヒデ。それぞれに騎乗するのが武豊、岡部幸雄、そして柴田政人と当代を代表する名手というのも話題になった。
そして、待っていたのは勝利だった。ポッカリとあいた4コーナー。セオリーから言えば早い仕掛けだったが、待っていては前をふさがれたかもしれない。そんな状況に柴田騎手に迷いはなかった。インからビワハヤヒデが足を伸ばし、外からナリタタイシンが強襲するも、ウイニングチケットは最後の最後に底力を見せて先頭でゴールへと飛び込んだ。場内にこだまする「マサト・コール」そして、レース後の勝利騎手インタビューで、ちょっと照れながら「(世界のホースマンに)私が第60回日本ダービーをウイニングチケットで勝った柴田政人です、と言いたい」と言った。
あの日、柴田騎手を栄光へと導いたウイニングチケットは11年間の種牡馬生活ののち、現在は浦河町の優駿ビレッジAERUで余生を過ごしている。29歳になったニッポーテイオーと27歳のダイユウサク。そして近年仲間入りを果たした23歳のヒシマサルとともに過ごしている。
「とくにヒシマサルと仲がよくて、いつも2頭でじゃれています。体はヒシマサルのほうがひとまわり以上も大きいのですが、動きは負けていません」とスタッフが言う。
重賞3勝をあげながらも、外国産馬だったためにダービーに出走できなかったヒシマサルに、当日の雰囲気を伝えているのだろうか。そして「寝転ぶのが大好き」だという。
22歳。穏やかで、人懐っこく、そして心身ともに健康。あの日、約9300頭の頂点にたったウイニングチケットは、いまもダービーの重みを伝えているようだ。