馬産地コラム

マチカネタンホイザを訪ねて~小須田牧場

  • 2011年06月09日
  • マチカネタンホイザ~1
    マチカネタンホイザ~1
  • マチカネタンホイザ~2
    マチカネタンホイザ~2
  • マチカネフクキタルと(左)、マチカネタンホイザ(右)
    マチカネフクキタルと(左)、マチカネタンホイザ(右)
  • 好好爺然とした穏やかな表情を見せてくれた
    好好爺然とした穏やかな表情を見せてくれた
  • 彼方に富士山を望む小須田牧場の風景
    彼方に富士山を望む小須田牧場の風景

 1995年の高松宮杯(G2)など重賞4勝を挙げたマチカネタンホイザ(22歳、父ノーザンテースト 母クリプシー 母の父アローエクスプレス)を山梨県北杜市の小須田牧場に訪ねた。

 マチカネタンホイザは1991年9月デビュー。父が名種牡馬ノーザンテースト、母が日本の名牝スターロッチ系という事もあり、早くから期待されていた。新馬戦を勝ち、3戦目の府中3歳ステークス(OP)を優勝、朝日杯3歳ステークス(G1)ではミホノブルボンの4着に健闘した。翌年のクラシックは全てに出走するも、皐月賞(G1)7着、日本ダービー(G1)4着、菊花賞(G1)3着と惜敗が続いた。

 古馬となった1993年、ダイヤモンドステークス(G3)で初重賞制覇を果たすと、続く目黒記念(G2)を連勝、長距離に適正を見せ、天皇賞(春)(G1)では3番人気に推されたがライスシャワーの4着に敗れる。その後も2000m超のレースを中心に活躍し、アメリカジョッキークラブカップ(G2)、高松宮杯(G2)などのタイトルを重ねるも、ついにG1には手が届かなかった。競走成績32戦8勝。

 1996年よりブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬入りしたマチカネタンホイザ、代表産駒には交流重賞・エーデルワイス賞(G3)で3着に入ったミヤビゴールドなどがいるが、8シーズンで登録数は45頭だった。2006年にマチカネ牧場に移動して余生を過ごしていたが、2010年4月30日に小須田牧場へと移動して来た。

 小須田牧場は観光地清里高原の中程にあり、体験学習や乗馬も楽しめる観光牧場だ。晴れた日には丘のクラブハウスから、前に富士山、後ろに八ヶ岳連峰を眺めることが出来る。マチカネタンホイザはここでマチカネフクキタルと一緒に放牧されている。

 「高齢なのもありますが、のんびりとした性格で物怖じしませんね。国道沿いなのでバイクや観光バスも通過しますがまったく気にしません。放牧地では相棒のマチカネフクキタルがちょっかいを出して来るのですが、ほとんど相手にしません。でも、(フクキタルが)食事の邪魔をすると怒りますね」と語ってくれた小須田牧場のスタッフ。撮影中も、ポーズをとってるタンホイザにフクキタルが横からちょっかいを出してきたりと、2頭の関係が微笑ましかった。

 「私は乗馬の世界は長いですが、ファンから引退馬の誕生日に人参やリンゴが送られてくるなんて経験はありませんでした。乗馬の世界とは違った競馬ファンというものの存在を知りました。この2頭(タンホイザ&フクキタル)は、小須田牧場にとっても大きなものを与えてくれる大切な存在ですね」と語ってくれたのは小須田牧場代表の小須田稔さん。

 「昨年末、ウインズ石和(山梨県笛吹市)でマチカネフクキタルのお披露目がありました。評判が良かったので、今年の宝塚記念の日(6月26日)にはマチカネタンホイザのお披露目をする予定です。最初は、年齢的な事もあり、身体も痩せてきてるし、爪が悪いので辞退しようとも考えたのですが、『年齢を重ねて老いたとしても、それも馬の魅力。競馬ファンはそれを受け入れてくれますよ』と口説かれて決断しました」と小須田さん。きっと多くのファンがマチカネタンホイザの晴れ舞台を見に来てくれることだろう。