馬産地コラム

ワイルドブラスターを訪ねて~EQUINE-HOLIC

  • 2011年06月08日
  • ワイルドブラスター~1
    ワイルドブラスター~1
  • ワイルドブラスター~2
    ワイルドブラスター~2
  • ワイルドブラスターと本多さん
    ワイルドブラスターと本多さん
  • ワイルドブラスター~3
    ワイルドブラスター~3
  • EQUINE-HOLICの看板
    EQUINE-HOLICの看板

 1997年、1998年のマーチステークス(G3)、1998年のアンタレスステークス(G3)と1800mのダート重賞を3勝したワイルドブラスター(牡19歳、父Wild Again 母ダーリングミスキュー 母の父Alydar)を静岡県富士宮市の乗馬クラブEQUINE-HOLICに訪ねた。

 ワイルドブラスターの父Wild Againは、1984年に創設されたアメリカ競馬の最高峰、第1回ブリーダーズカップ・クラシック(G1)を制し、種牡馬としても大成功をおさめた名馬だ。日本にも多くの産駒が輸入され、スプリングステークス(G2)、京都新聞杯(G2)を勝ったナリタキングオー、ニュージーランドトロフィー(G2)を勝ったタイキリオンなどを送り出している他、産駒のワイルドラッシュが日本に輸入され種牡馬として活躍している。

 引退後はCBスタッドにて種牡馬入りしたワイルドブラスターだったが、供用シーズンはわずか3年、産駒数は合計21頭と恵まれたものでは無かった。「Wild Againの血を引くトランセンド(父ワイルドラッシュ)がドバイワールドカップ(G1)で2着に入るなど、日本で大活躍していますからね。今ならもっと評価されていたでしょうし、彼にとっては時代が早すぎたのかもしれませんね」と、不運な時代に種牡馬生活を送ったワイルドブラスターを慮るのはEQUINE-HOLICの代表、本多列央(れお)さんだ。本田さんがワイルドブラスター(とマイシンザン)を引き取って今年でもう7年になる。

 乗馬クラブのインストラクター→「専修学校北海道ホースマンアカデミー」の実技教官→吉澤ステーブルの騎乗員などを務めて来た本多さんが「名馬のふるさとステーション」の閉鎖に伴い、行き場を失っていた2頭を引き取ったのが7年前のことだ。浦河町乗馬公園や吉澤ステーブルの馬房を借りて2頭の面倒を見ていた本多さんが5年前に設立した乗馬クラブがEQUINE-HOLIC(エクワイン・ホーリック)だ。埼玉県に開設し、ワイルドブラスターを含めた3頭でスタートしたEQUINE-HOLICだったが、2年前に酪農体験施設やキャンプ場のある静岡県富士宮市「ハートランド朝霧」の敷地内に移転してきた。

 「名馬のふるさとステーションから引き取ったのが12歳の時ですからね。やんちゃで落ち着かないところもありましたが、今ではずいぶん性格的に丸くなりましたよ」と近況を語ってくれた。

 通常、種牡馬を経験した馬が乗馬になる場合は去勢する事が多いが、ワイルドブラスターもマイシンザンも去勢はしていないそうだ。「一般のお客さんを載せる訳じゃありませんし、扱うのも自分達(列央さんと奥様の俊江さん)だけですからね」と本多さん、長年一緒に暮らし、性格含めた全てを熟知しているのが伺える。

 本多さんが言うには「耳が短い」のがワイルドブラスターのチャームポイントだそうだ。訪問したこの日、隣接するハートランド朝霧の放牧地から乳牛が脱走、厩舎の前の草地に接近してくるというアクシデントがあった。馬房の裏戸から首を出し、乳牛をじっと見つめていたワイルドブラスターだったが、小さな耳をピクピクさせながら不安そうに震えていた。『ワイルドブラスター』という荒々しい馬名からは想像も出来ない気弱な態度がどこか微笑ましかった。

 「体験学習の生徒さんたちの、黄色い声や走りまわる音は全然怖がらないんですけど、牛は怖いみたいですね~」と話していた本多さんだが、おもむろに棒を持ち出すと、逃げた牛を追い返しに草地へと走って行ってしまった。「実は結構(牛の)脱走はあるんですよ。ここに来て、牛追いも上手になっちゃいましたよ」と苦笑い。視界から牛の姿が消えてワイルドブラスターもほっとした様子だった。

 「かれこれ7年間も一緒に暮らして来ましたからね。これからも家族として一緒に暮らせるよう元気で長生きして欲しいですね」と語る本多さんご夫妻に見守られながら、幸せな余生を送って欲しいものだ。