馬産地コラム

マイシンザンを訪ねて~EQUINE-HOLIC

  • 2011年06月07日
  • マイシンザン~1
    マイシンザン~1
  • マイシンザンと本多さん
    マイシンザンと本多さん
  • マイシンザン~3
    マイシンザン~3
  • マイシンザン~4
    マイシンザン~4
  • 厩舎から富士山を眺めるのが好きだという
    厩舎から富士山を眺めるのが好きだという

 1993年のNHK杯(G2)、1995年の朝日チャレンジカップ(G3)を制したマイシンザン(牡21歳、父ミホシンザン 母ファイブソロン)を静岡県富士宮市の乗馬クラブEQUINE-HOLICに訪ねた。

 マイシンザンは1992年12月デビュー、初勝利は2戦目だったが1.4秒差の大差勝ち。2勝目のこぶし賞はレコードタイムと早くから能力の高さが期待されていた。クラシックでは皐月賞(G1)はナリタタイシン、日本ダービー(G1)はウイニングチケット、菊花賞(G1)はビワハヤヒデが勝ち、それぞれ1冠ずつ分け合い『三強』と呼ばれた時代だ。激しい気性と、度重なる脚部不安(屈腱炎)で能力を出し切ることが叶わず、クラシックでは『三強』に及ばなかったが、偉大なる祖父シンザンの血をひく末裔として、ファンからの人気を集めた馬だった。競走成績12戦4勝(重賞2勝)

 1997年よりCBスタッドにて種牡馬入りしたマイシンザン、供用された6シーズンで誕生した産駒は合計で20頭と厳しい結果だった。種牡馬引退後は門別町の「名馬のふるさとステーション」にて余生を送っていたが、施設の閉鎖に伴い、ワイルドブラスターと共に(後に乗馬クラブEQUINE-HOLICを創設する)本多列央さんに引き取られ、以後は功労馬として暮らしている。

 「基本的には大人しくて扱いやすいですが、いきなりテンションが上がる時がありますね。見た目の通り若々しくて、今年で21歳とは思えません。厩舎前の草地で乗り運動などもするのですが、立ち上がることもありますし、その脚力には驚かされます。ワクワクドキドキする乗り味で、この馬に乗るのが大好きなんですよ」と語ってくれたのは本多さんの奥様、俊江さん。祖父のシンザンは強靭な脚力で立ち上がって歩くことで有名だったが、その血が今でも騒ぐのだろうか。

 「シンザン~ミホシンザン~マイシンザンという血統にはファンが多いのでしょう。今でも多くのファンが訪ねて来ます。中には、会って涙を流す方もいらっしゃいます。誕生日には今でも人参やリンゴが送られてきますよ」とファンに愛されている事が嬉しそうな俊江さんだ。

 少し霧が出てきたこの日は、お目にかかることが出来なかったが、EQUINE-HOLICの厩舎からは、晴れた日には草地を挟んだ山々の向こうに富士山が見えるそうだ。反対側には武田信玄の隠し金山があったとも言われる毛無山(けなしやま)が見える。

 「マイシンザンは山の景色を見るのが好きみたいなんです。浦河に居たときは日高山脈を眺めていましたし、今は富士山をずーっと眺めています。これって贅沢な老後ですよね」と俊江さん。いつまでも元気に長生きしてもらいたい。