コスモバルクを訪ねて~ビッグレッドファーム
日本産、日本調教馬として史上4頭目の国際G1勝馬となった名馬だ。地方競馬所属馬としては史上初。そして、現在にいたるまで日高産馬としては唯一の国際G1勝馬としてその名を残している。
それでも、コスモバルクには「挑戦」がよく似合う。
厩舎制度に挑戦し、JRAの強豪に挑戦し、そして世界の舞台へも挑戦を続けた。
その挑戦は、必ずしもよい結果となることばかりではなかったが、中央、地方、そして海外で積み重ねた48戦のキャリアのひとつひとつが何者にも勝る勲章だった。
勝利者は美しい。しかし、勝利よりも意義深い敗戦があることを、コスモバルクはその走りを通して教えてくれた。
そんなコスモバルクの最後の挑戦が始まろうとしている。1年前。最後に残ったくすぶる心を完全燃焼させようという欧州遠征は、左後肢の剥離骨折で断念せざるを得なかったが、その埋め火はいまだに強い心を持ち続けていた。
明け10歳となった2011年。復帰を目指して2月頃からビッグレッドファーム明和牧場の坂路で調教を再開し、そして一度は諦めた海外遠征を決めた。5月24日早朝、同ファームを出発した同馬は、栃木県の鍋掛牧場で検疫に入り、そして6月1日に成田空港を出発。フランスを経由してアイルランドの児玉敬厩舎へと移動する。
「競走馬ですから、年齢的にピークを超えているのは間違いないと思います。それでもこの馬を高く評価してくれる人がいるのなら、その期待に応えようというのも選択肢のひとつではないかと思います」とはもう5年以上も同馬と行動をともにしてきた榎並健史さんだ。慎重に言葉を選びながらも、長い間苦楽をともにしてきたパートナーを気遣う。「これまでずいぶんといろいろなところに遠征しましたけど、時差のある場所は初めてなんですよ。それがちょっと心配かな」といたずらっぽく笑った。そんなところにも愛馬に対する信頼感がにじみ出る。
アスリートには、2通りの生き方がある。最高のパフォーマンスが発揮できなくなったときに引退を決意する方法と、体力の限界まで現役にこだわる生き方だ。軽々しくどちらが良いなんて、言えるわけもない。
それでも。と思う。例えば、サッカーJリーグの三浦知良、中山雅史。プロ野球ならば工藤公康、山本昌広、そして柔道の鈴木桂治、野村忠宏。それぞれおかれている立場は異なるが、頑張る姿はスマートではないが格好よい。そして、何よりも人々を勇気付ける。
コスモバルクはもの言えぬサラブレッドだ。彼が何を望み、そしてどう考えているのかはわからない。しかし、今回の挑戦はコスモバルクがコスモバルクである限り、必要不可欠な条件であるような気がしてならない。現地では、コスモバルクの体調を最優先させるために、目標とするレースは未定。そして、秋には帰国する予定だという。
結果ではなく、その生き様をしっかりと心に刻み付けたいと思う。