馬産地コラム

ハクタイセイを訪ねて~JBBA静内種馬場

  • 2011年04月23日
  • ハクタイセイ~1
    ハクタイセイ~1
  • ハクタイセイ~2
    ハクタイセイ~2
  • ハクタイセイ~3
    ハクタイセイ~3

 記念すべき第50回皐月賞(G1)を勝った芦毛のハクタイセイをJBBA日本軽種馬協会静内種馬場に訪ねた。2010年12月1日に十勝軽種馬農協種馬所から移動して約5か月。環境の変化にもすっかり慣れて悠々自適な生活を楽しんでいる。

 「4月17日が誕生日だったんですよ。ファンの方からニンジンをいただきました」と同協会の遊佐繁基種馬課長。「この馬を応援する団体があって、その方たちやたくさんのファンの方からも同馬を案ずるご連絡をいただきましたが、現在のところ健康の面ではまったく心配していません。今でも本当に多くのファンの方に愛されている馬だと思います。この場を借りてもご安心くださいと伝えたいですね」というメッセージを預かってきた。

 ハクタイセイは1987年にオグリキャップと同じ北海道の三石町(現新ひだか町)で生まれている。ちょうどオグリキャップが笠松競馬場でデビューを果たした年だ。競馬場には若いファンがあふれ、そして新しい競馬が幕を開けようとしていた。皐月賞(G1)が行なわれる中山競馬場はスタンド改修工事が行なわれ、そんな中で行なわれた皐月賞(G1)。この年は、有力馬に当時はまだ珍しかった父内国産馬が多かったことが記憶されている。

 クラシックの中心を歩んだメジロライアンがアンバーシャダイの直仔で、ホワイトストーンはシービークロスが送り出した芦毛の刺客。阪神3歳S(G1)3着、弥生賞(G2)2着と王道を歩んできたツルマルミマタオーはグリーングラスの子供だった。ほか天皇賞馬ニチドウタローや年度代表馬カネミノブも父としてこのクラシックレースに参加していた。そして、言うまでもなく、ハクタイセイは、国民的アイドルといわれたハイセイコーの直仔だ。

 まるで、新しいファンに競馬の歴史を教えるような、そんなクラシックロードだった。

 そんな2世たちの競演を制して皐月賞馬に輝いたのは、父ハイセイコーも17年前にこのレースを勝っているハクタイセイだった。春には似合わない冷たい雨はあがったもののどんよりとした厚い雲が競馬場を覆う中で、写真判定用に灯されたゴール前のライトに芦毛の馬体が吸い込まれていくシーンは幻想的でもあった。

 「種牡馬としての同期にはダンシングブレーヴやリズムがいますし、産駒をデビューさせた頃にはすでにブライアンズタイムやサンデーサイレンスの仔が走りはじめていました。そういう意味ではちょっとかわいそうでしたね」と中西信吾同協会静内種馬場長が同馬をかばう。92年からダンシングブレーヴと同じ同協会静内種馬場で種牡馬入りしたものの、その後は鹿児島県の九州種馬場、白老町の胆振種馬場、十勝軽種馬農協種馬所などを渡り歩きながら種牡馬生活を続け、2011年からは功労馬として種牡馬生活をスタートさせた静内に戻ってきている。

 「心身ともに問題はなさそうです。芦毛馬特有のメラノーマに関しても現在のところ大きな影響を与えるほどではないと思っています。年齢は重ねていますが、本当に元気で、獣医師としてはまったく手のかからない馬です。お父さん同様に長生きして欲しいですね」と同協会の中川亮獣医師。隣の放牧地には2歳年上のフォーティナイナーがいるが、時折、元気さを競うかのように2頭で放牧地を走り回っているというから驚いた。その若さが一日でも長く続いてくれることを祈りたい。