馬産地コラム

ドクタースパートを訪ねて~JBBA静内種馬場

  • 2011年04月23日
  • ドクタースパート~1
    ドクタースパート~1
  • ドクタースパート~2
    ドクタースパート~2
  • ドクタースパート~3
    ドクタースパート~3

 JBBA日本軽種馬協会静内種馬場で功労馬としてけい養されている平成最初の皐月賞馬ドクタースパートを訪ねた。25歳。久しぶりに経験する北海道の冬に、少しばかり冬毛が伸びているもののすこぶる体調はよさそうだ。「芯の強い、タフな馬だと思います。那須での管理もよかったのでしょう。人にも従順で、まったく手がかかりません」と同協会の中川亮獣医師も太鼓判を押している。

 “北の野武士”。それが現役時代のドクタースパートに与えられたニックネームだった。皐月賞(G1)優勝当時は434キロ。道営北海道競馬出身で、父のホスピタリティもまた地方競馬出身馬。母ドクターノーブルの父は“元祖野武士”タケシバオー。母系をさかのぼれば戦後まもない頃に豪州から輸入されたダルモーガンにたどり着き、近親にはスズユウやハイセイコーの名前も見える。華美ではないが、長い年月の間に鍛え上げられたものだけが持つ逞しさを感じさせる血統馬だ。

 第49回皐月賞(G1)は前日からの激しい雨で馬場はたっぷりと水分を含み、トライアルの弥生賞(G2)同様の不良馬場で行われた。1番人気は軽快なスピードと抜群の瞬発力を武器に3戦3勝で2歳チャンピオンになったサクラホクトオー。前年のダービー馬サクラチヨノオーの半弟という血統で、同じ父内国産馬ながら父はトウショウボーイ。まばゆいばかりの血統馬だった。3歳初戦の弥生賞(G2)は不良馬場でまったく動けず、馬場状態に命運を委ねるような形になっていた。一方、3番人気ドクタースパートは、余裕残しとはいえ良馬場で行われたトライアルのスプリングS(G2)で3着。相応の切れ味は見せたもののダートで鍛えられた同馬にとっては馬場の悪化は間違いなく味方してくれそうな、そんな雰囲気を漂わせていた。

 運命の女神は気まぐれだ。激しい雨は午前中にはあがり、昼休みには初夏の陽射しが馬場に射しこんでいた。果たして15時35分にはどれほどまでに馬場は回復するのか。それが焦点だったといっても過言ではないが、1枠1番にサクラホクトオー。8枠19番にドクタースパートという枠順が決まった段階で女神の気持ちは決まってきたのかもしれない。

 インコースで悪い馬場に脚をとられ、戦意を喪失したサクラホクトオーはしんがりにやぶれ、泥が跳ね上がるような馬場をしっかりと味方にしたドクタースパートは先頭でゴール板を駆け抜けた。

 北海道競馬出身馬として初のJRA重賞勝馬となった小柄な鹿毛馬は、最高の夢を北海道競馬へと送り届ける存在にもなった。

 「ドクタースパートが那須から静内に移動したことがニュースで報じられると、ファンからお手紙をいただきました。生産者でもある須崎光治さんも会いに来てくれましたよ」と遊佐繁基同協会種馬課長。

 12年間に及ぶ種牡馬生活は恵まれたものとは言いがたいが、父内国産馬にして地方競馬出身のクラシックウイナーとなった同馬は、いまも多くの人たちの記憶に刻まれ、愛されているようだ。