馬産地コラム

フジノマッケンオーを訪ねて~本桐牧場

  • 2011年02月23日
  • フジノマッケンオー~1
    フジノマッケンオー~1
  • フジノマッケンオー~2
    フジノマッケンオー~2
  • フジノマッケンオー~3
    フジノマッケンオー~3

 安住の地は、生まれ故郷だった。

 2000年の現役生活にピリオドを打ったフジノマッケンオーは、種牡馬失格の烙印をおされ、その後はめぐり合った施設の閉鎖にまた行き場を失い、乗用馬施設を転々としたのち、2005年に生まれ故郷の本桐牧場に戻ってきた。

 大正8年創業。100年にならんとする本桐牧場の歴史は“幻の馬”といわれたトキノミノルや天皇賞馬ヤマニンモアー、メジロタイヨウ。あるいは名牝のほまれ高いオーハヤブサ(オークス)などとともにある。名種牡馬チャイナロックをけい養し、メジロティターンやウィナーズサークルも種牡馬としてけい養していた。現在、フジノマッケンオーと仲良く隣同士で放牧されているハギノカムイオーも、そんな1頭だ。

 サラブレッド、とくに牡馬が生まれ故郷に戻れる確率を考えると、本桐牧場の放牧地で草を噛むフジノマッケンオーは、その存在が奇跡といってもよい。

 「おとなしい馬なんですよ。色々なところを渡り歩いてきたから、人間のことを信頼しているんでしょうね」と同牧場の長井恵代表が優しく同馬の顔をなぜる。「生まれたときは骨太で、のんびりした馬だったんですよ」と昔を懐かしんだ。

 父ブレイヴェストローマン、母ドミナスローズ。父はトップスタリオンで、母はトウショウボーイ産駒の9勝馬。重賞の京都牝馬特別(G3)を逃げ切った馬だ。当然ながら、生まれたときから大きな期待を背負っていた。

 その現役時代は皐月賞(G1)3着、ダービー(G1)4着と世代トップクラスの実力馬として活躍し、その後はセントウルS(G3)やダービー卿CT(G3)や根岸S(G3)、地方交流のさきたま杯(G3)など芝ダート、中央地方の重賞レースで活躍した。JRA賞最優秀ダート馬に選出されたこともあるが、2000年に荒尾競馬場で引退するまで、全国を渡り歩いて、走破した競馬場は17にもなった。その間、多くの人に敬われ、愛された馬だ。

 「あまり、他の馬のことは気にしない、マイペースの馬ですよ」とスタッフの方が耳打ちしてくれた。今でも訪れるファンは多く、JRA時代の厩務員さんもときおり会いに来てくれるという。

 「今年で20歳になりますが、馬はいたって元気です。苦労もあったでしょうが、もう移動することもないでしょうから、ここでゆっくりと余生を過ごして欲しいですね」というのは、生産者として偽らざる気持ちだろう。