馬産地コラム

ヒシマサルを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU

  • 2011年01月20日
  • ヒシマサル~1
    ヒシマサル~1
  • ヒシマサル~2
    ヒシマサル~2
  • ヒシマサル~3
    ヒシマサル~3
  • ヒシマサル~4
    ヒシマサル~4
  • ヒシマサル~5
    ヒシマサル~5

 極めて和風な名前だが、1989年に米国で生まれている。豪快な追い込みを武器に、3歳春に重賞3連勝を含む4連勝を記録した。まだ外国産馬にクラシックの出走権が与えられていなかった時代のこと。逃げ脚質を武器に連勝を重ねるミホノブルボンとの対決はファンならずとも心躍るものとなった。その対決は夢のままで終わったが、日本に外国産馬ブームを引き起こし、そしてトレーニングセールという言葉を定着させた功労者でもある。

 8シーズンを種牡馬として過ごし、ライデンリーダー記念のカンセイグローバルや新潟皐月賞のヤングルーラー、高知2冠馬のカチマサルなどを出したあと、浦河町の優駿ヴィレッジAERUにやってきた。

 観光乗馬施設AERU。その乗馬スペースの入口付近。道道1025号線浦河静内線の道路から一番近い場所に功労馬用の放牧地がある。ここはずっと長い間ヒシマサル1頭だけに与えられたスペースだったが、2010年春からは、エルウェーウィン、ケイティタイガーの2頭が仲間入りを果たしている。

 「2001年の種付けを最後に種牡馬生活を引退したあと、ヒシマサルはここAERUに移動してきました。当初は気性が荒くてほかの馬とは一緒にできなかったんです」と同乗馬施設の島村博マネージャーが当時の事情を説明してくれた。「見学に来てくださる方からも、ヒシマサルだけ1頭で放牧されているのはかわいそう、なんて声をずいぶんいただきました。そんなときは説明に苦労しましたよ」と頭をかいた。

 3頭を同じ放牧地に入れることに際し、最初は少し心配したそうだが「まったく問題なかったですね。とくにエルウェーウィンとはすぐに仲良くなりました」という。放牧地では、ヒシマサルとエルウェーウィンが仲良く走り回って、それをケイティタイガーが離れたところから見ているという図式だ。ヒシマサルが、ひとまわり以上も小柄なエルウェーウインに追いかけられている姿はちょっと滑稽でもある。

 「ヒシマサル自身の体調はすこぶる良好です。22歳になりましたけど、病気もなく健康です。もともと丈夫な馬だったんでしょうね。それに、以前に比べると精神的にも落ち着きを取り戻したみたいです。やっぱり1頭で寂しかったのかもしれませんね」という。仲間を得たヒシマサルは、ますます健康になったようだ。