馬産地コラム

サニーブライアンを訪ねて~うらかわ優駿ビレッジAERU

  • 2011年01月18日
  • サニーブライアン~1
    サニーブライアン~1
  • サニーブライアン~2
    サニーブライアン~2
  • サニーブライアン~3
    サニーブライアン~3
  • サニーブライアン~4
    サニーブライアン~4

 2001年ファーストシーズンサイアーランキングNAR部門1位。同総合2位。勝馬数及び勝鞍数1位。10年間の種牡馬生活で364頭の産駒を残し、2頭のJRA重賞勝馬含み、重賞11勝。それが2冠馬サニーブライアンの種牡馬成績だ。だから、2007年シーズンを最後に種牡馬を引退すると聞いたときは驚いた。

 「オーナーがAERUの施設をよく利用してくださるから、ここを選んでくださったと聞いています。ファンの多い馬ですし、AERUに来て良かったね、と言われるように頑張ります」と当時のスタッフが目を輝かせていたことを覚えている。

 あれから3年。AERUの功労馬グループの中では最年少だが、2冠牡馬の勲章はゆるぎない。「1番若いダービー馬ですから、知名度も高いですね。この馬を目当てに訪れるファンも多いですよ」とスタッフが案内してくれた。

 放牧地ではほかの3頭(ニッポーテイオー、ダイユウサク、ウイニングチケット)から少し離れたところでポツンとしていることが多いという。「動きまわる割には1頭でいることが好きみたいですね。ここの功労馬たちは年長馬に優しいので、無駄なボス争いはなく、年功序列が成り立っています」と乗馬部門の島村博マネージャーが目を細めている。

 AERUの在籍年数はダイユウサクが一番長いが、年齢は28歳になったニッポーテイオーが一番上だ。放牧地に入るときも、そして馬房に帰るときも、その順番が崩れない。一番新しく、一番若い17歳のサニーブライアンはじっと順番を待っている。

 「種牡馬を引退したばかりの頃は、それまでと環境も大きく変わります。体調を崩すこともありましたが、現在は至って元気です」という。そうした環境の変化で、最も大きいのは飼葉だという。当然ながら、種牡馬としてけい養されているときと功労馬生活では摂取カロリーが異なる。そのために疝痛を起こしたり、体調を崩すケースもあるというが、サニーブライアンはそれを乗り越えて元気に過ごしている。

 それでも、後ろ髪をひかれるようなラストクロップのデビュー年度は2010年。何の因果かワンモアチャンスという馬がいた。新馬戦2着。サニーブライアン自身はすでに去勢されているので復帰するすべもないのだが、2冠馬の血を受け継ぐ馬の活躍に血の継承を夢見たが、1番人気に支持された2戦目で無念の競走中止。夢は絶たれた。そんなことを知る由もないサニーブライアンは穏やかなときを過ごしている。

 「穏やかな馬です。2009年に札幌競馬場へ行ったときは久しぶりの環境にイレ込みましたが、普段はおとなしい馬ですよ。ただ、まだ若い馬ですから、手入れのときなんかは噛み付きにくることがありますので気をつけています」というから見学の際はご注意願いたい。