メジロベイリーを訪ねて~ビッグレッドファーム
整然と並べられたビッグレッドファームの放牧地。それぞれのパドックに、1頭ずつ種牡馬が収められているが、メジロベイリーのそれは、他とは少し離された一番奥に用意されている。空いた放牧地を隔てた向こうではマイネルラヴが走り回っているが、そんなことはまったく意に介さずに草を噛んでいる。シーズンオフになって、少し体全体に余裕のようなものが出てきているが、ビロードのような皮膚が美しい。半兄に天皇賞馬メジロブライトがいるメジロベイリーは、サンデーサイレンスの良血牡馬。そしてG1ウイナーだ。
「メジロブライトの弟というよりは、サンデーサイレンスの仔って雰囲気ですね」とスタッフが説明してくれた。半兄のメジロブライトも、ここビッグレッドファームで種牡馬生活を送っていた。ややのんびりしたところがあるのは兄弟に共通した部分だそうだが、普段は人懐っこい弟も、スイッチが入ると激しさが顔を覗かせるそうだ。
「とくにうるさいとか、扱いにくいということはないんですが、ちょっと変わったところがあって、馬房に入るときには決まった方向からじゃないと入ってくれないんですよ。変なところが頑固なんです」というものの、個性派揃いのビッグレッドファーム軍団の中にあって、その程度のクセは、個性にも入らないらしい。スタッフみんなから、かわいがられている。
振り返ると、この馬は数奇な運命をたどっている。メジロベイリーが2歳の春、メジロ牧場近隣の有珠山が22年7か月ぶりに噴火した。デビュー目指して調教されていたメジロベイリーは、ほかの育成馬たちと一緒に移動を余儀なくされたが、そんなアクシデントを乗り越えて2歳9月にデビューした。ところが、それは「結果論からいえば、5月30日生まれのメジロベイリーには、使い出しが少し早かったのかもしれない」という。
4戦目の未勝利戦を勝ち、朝日杯3歳S(G1)を勝った。しかし、骨折。度重なる脚部不安、そして皮膚炎にも悩まされた。1年2か月ぶりに復帰したものの、わずか2戦で再び脚部不安に倒れ、そこから青森県での種牡馬デビューまで3年の月日を要している。
ほんのわずかな希望から、光明が広がった。おもに青森県で生まれたメジロベイリーの数少ない産駒たちは、中央、地方で勝馬を輩出。そして、2009年、馬産の中心地ともいえる北海道日高へとけい養場所を移したメジロベイリーを待っていたのは自身最多となる84頭の花嫁だった。北海道での2年目シーズンとなる2010年は29頭と数を落としてしまったが、あわせて100頭以上の繁殖牝馬に希望を託している。
運命に翻弄され続けたメジロベイリーだが、手を伸ばせば栄光をつかめるところまでやってきた。あと必要なのはホンの少しの運だと思う。その運がメジロベイリーに訪れることを祈りたい。