馬産地コラム

キンググローリアスを訪ねて~JBBA静内種馬場

  • 2010年10月28日
  • キンググローリアス~1
    キンググローリアス~1
  • キンググローリアス~2
    キンググローリアス~2
  • キンググローリアス~3
    キンググローリアス~3

 「まだまだ元気ですよ。でも、もう21年間も頑張ってくれたし、そろそろ良いかなって。本当にご苦労様でしたと言いたいです」と日本軽種馬協会静内種馬場の中西信吾場長がさびしそうに、でも満足そうな顔でいった。

 2011年。同協会直営種馬場の配置表にキンググローリアスの名前がなかった。それが引退の正式表明だった。

 そんなキンググローリアスが放牧地を走り回っている。「ここにいるじい様方は、みんな若いでしょ」と遊佐繁基種馬課長が敬愛の念をもって紹介してくれた。

 若干落ちた背中に24歳という年齢を感じさせるが、オグリキャップやスーパークリークと1歳違いということを考えれば、その若々しい馬体は新鮮ですらある。

 現役時代は爆発的なスピードを持った馬だった。2歳5月のデビュー戦でいきなりレコードタイムを記録し、その後は後続に影をも踏ませぬ快走で連勝を続けた。2歳時は5戦5勝。その合計着差は25馬身以上にもなった。

 同期にはサンデーサイレンスやイージーゴアがいる1986年生まれ世代。アメリカ競馬が華やかだった時代だ。2歳時、イージーゴアのライバルと目されたのはサンデーサイレンスではなく、キンググローリアスだった。東海岸のベルモントパーク競馬場を主戦場としていたイージーゴアは6戦4勝2着2回で2歳牡馬チャンピオンに選出されたが、わずか1ポンド差の2位になったのが西海岸のハリウッドパーク競馬場で連勝を続けていたキンググローリアスだった。クラシックを前に脚部不安を発症し、直接対決はなかったものの通算成績9戦8勝2着1回。まったく底を見せないままの引退だった。

 種牡馬としては、やはり同期でケンタッキーダービー3着のオウインスパイアリングとともに輸入。初年度産駒ナムラコクオーらの活躍で新種牡馬として、1993年には2歳の総合チャンピオンサイアーになった。新種牡馬が2歳サイアーランキングのトップになったのは1983年のダンサーズイメージ以来10年ぶりのことだった。

 膨らんだ期待は1年遅れで輸入されたサンデーサイレンスによって現実とはならなかったが、ワンダースピードが2008、2009年に重賞3勝を記録して話題になった。これがキンググローリアスの産駒としては10年ぶりのJRA重賞制覇だった。

 遊佐繁基種馬課長は「これまでに20頭で43の重賞勝鞍があります。産駒は距離、馬場を問わず万能タイプが多く、古馬になっての成長力も折り紙つきです。また、近年ではユビキタス(ユニコーンS(Jpn3))など母の父としても活躍の場を広げており、これからも存在感を示して欲しい」と願っている。