馬産地コラム

サクラチトセオーを訪ねて~レックススタッド

  • 2010年11月22日
  • サクラチトセオー~1
    サクラチトセオー~1
  • サクラチトセオー~2
    サクラチトセオー~2
  • サクラチトセオー~3
    サクラチトセオー~3

 「スターオブコジーンが移動したので、また来年は当スタリオンの最年長ですね」とスタッフが親しみを込めながら、本馬を案内してくれた。年が明ければ21歳。同世代のクラシックを盛りあげた“3強”はいずれも種牡馬としての第一線を退き、快速天皇賞馬もまた功労馬へと転身している。積み重ねた時間の長さがうかがい知れる。 

 「人懐っこさはここでも一番かもしれません。印象的なレースをしたせいか、ファンの多い馬ですよ」という。今はシーズンオフだが、初夏の見学シーズンともなれば本馬を目当てとするファンが多く運ぶらしい。

 前半はじっと息を潜めるように後方に位置し、直線に向くと一気に脚を伸ばす。それがサクラチトセオーの持ち味だった。しかし、それは偶然の産物だったというから面白い。

 「デビュー当時は好位からの競馬をしていましたからね。きっかけになったのは4歳秋の京王杯オータムH(G3)だったと聞いたことがあります」という。出遅れて、後方からの競馬となったこのレースでサクラチトセオーは、かつてダイナアクトレスが記録した1分32秒2の日本レコードをコンマ1秒更新する快走をみせた。このレースをきっかけに鼻先に大流星を持つ黒鹿毛馬は直線を吹き抜ける風となった。

 そんなサクラチトセオーだが、デビュー当初は体質が弱く、順調と言う言葉とはかけ離れた存在だった。右前脚の骨膜炎により休養を余儀なくされ、日本ダービー(G1)の出走を賭した青葉賞は口角の炎症のために出走取消となった。NHK杯(G2)3着で権利を取った日本ダービー(G1)では他の馬と接触するアクシデントで折り合いを欠いて惨敗した。

 そんなサクラチトセオーにもぎりぎりのところで運はあった。2戦目のひいらぎ賞は1位入線馬の降着によって繰り上がり優勝した。青葉賞取消の原因となった口角の炎症は幸いにも軽症だった。まるで運命の女神にもてあそばれるかのようにハナ差に泣き、ハナ差に笑ったこともある。

 引退し、種牡馬となったあとも運命の女神に翻弄される。初年度産駒の1頭ラガーレグルスは、新馬、特別を連勝し、ラジオたんぱ杯3歳S(G3)に優勝。クラシック第1弾の皐月賞(G1)でも3番人気に支持されたが、ゲート内落馬、競走中止の憂き目にあう。もし仮に、ラガーレグルスが期待と同じ程度の活躍をしていたら、種牡馬サクラチトセオーの評価も大きく異なっていたかもしれない。

 桜の木は、花を散らせたあともしっかりとその命を灯し続け、翌年にはまた見事な花を咲かせてくれる。今年は種付けに恵まれなかったサクラチトセオーだが、もう一度美しい花を咲かせてくれることを祈りたい。