馬産地コラム

スターキングマンを訪ねて~ブリーダーズスタリオンステーション

  • 2010年11月18日
  • スターキングマン~1
    スターキングマン~1
  • スターキングマン~2
    スターキングマン~2
  • スターキングマン~3
    スターキングマン~3

 その仰々しいネーミングとは裏腹に、人懐っこい馬だ。放牧地でも、人の姿をみるや寄ってきて甘える仕草をする。タフに42戦。阪神競馬場からスタートし、小倉、笠松、盛岡、札幌…。JRA全10競馬場のうち7競馬場を走破。ほか南関東や金沢公営、あるいはドバイまで。スタッフとともに日本全国を渡り歩いた。人間との信頼関係はそのときに築き上げたのかもしれない。

 父キングマンボ。母プリンセスティミド。半兄には米G1勝馬のルイシブルがいて、同じく半兄のサイコバブルは仏国のトップマイラーとして活躍した。期待の大きな良血牡馬で、その期待に違わぬ活躍をした。

 初のG1挑戦となったダービーグランプリ(G1)はゴールドアリュールの2着。層の厚いダートの先輩オープン馬にもまれながら力をつけて、4歳春のサウジアラビアロイヤルカップでは1歳年上のタイムパラドックスを子ども扱いし、再び同馬と顔をあわせた欅Sではレコード勝ちを記録している。同年秋、船橋競馬場で行われた日本TV盃(G3)では2歳年上のアグネスデジタルを4馬身切捨てて重賞初勝利に華を添えた。

 ベストパフォーマンスは6歳秋のジャパンカップダート(G1)だろうか。逃げ込みをはかるユートピアをシーキングザダイヤが交わして先頭にたったところ、インコースから追い詰め、一度は先頭に踊り出た。結果は、外からジリジリと脚を伸ばしたカネヒキリと、そのカネヒキリに引っ張られるように伸びたシーキングザダイヤに交わされて3着だったが、3頭がほとんど鼻つらを並べるようにしたゴールシーンはジャパンカップダート(G1)の名勝負として、いまも語り継がれている。「10」「7」「6」。3頭の馬番を示す電光掲示板にはレコードタイムの文字が浮かび上がっていた。

 このレースのあとのスターキングマンは、まるで燃え尽きたかのように無気力なレースを続け、7歳秋の白山大賞典(G3)5着を最後に引退。門別町のブリーダーズスタリオンステーションで種牡馬となった。キングマンボの良血牡馬。東京大賞典(G1)はじめ、長くダートのトップクラスで活躍したA級馬も、種牡馬としては繁殖牝馬集めに、やや苦戦中。それでも「試情馬(アテ馬)としての仕事もしてもらっていますが、仕事のオンとオフの切り替えが上手い、頭の良い馬です。優秀なアテ馬はスタリオンにとってなくてはならない存在で、スターキングマンは同スタリオンにとって必要な馬です」と坂本教文主任がスターキングマンに感謝の意を伝えている。

 「馬同士で同じ境遇というのがわかるのですかね。27歳になった先輩試情馬のイーベルツェーン(父ソーブレスト)と、とても仲が良いんです」という。そういえば、イーベルツェーンがアテ馬としてスタートしたときもテンポイントの近親ということで話題になった。

 現在は、そのイーベルツェーンと馬房も放牧地も隣同士。「一度、馬房を離したときは一晩中鳴き合うくらいに仲が良いんです。いつまでも元気でいて欲しいですね」とかわいがられている。